「命の教育」をしても殺人が絶対になくならない理由

6月1日に記事を書いて以来、2ヶ月近く新記事を書いていませんでした。久々の更新です。

最近、長崎県佐世保市の高校1年生が殺害された事件が話題を呼んでいます。犯人が同級生の女子生徒であること、10年前の2004年6月にも似たような事件(佐世保小6女児同級生殺害事件)が起きていることから、マスコミだけでなく教育関係者にも波紋が広がっているようです。

10年前に殺人事件が起きて以来、長崎県では「命の大切さ」や「命の尊厳」を説く「命の教育」が活発に行われていたそうです(「命の教育」届かず、長崎の教育関係者に衝撃)。その努力も虚しく、またしても殺人事件が起きてしまったということで、教育関係者に与えた衝撃は大きい模様です。

「命の授業」で殺人は絶対に防げない

私は別に長崎出身者でも教育者でもありませんから、「命の教育」の詳細は存じません。が、一つだけ断言できることがあります。「命の教育」なるものを実施して「命の大切さ」や「命の尊厳」を子供たちに教育しても、殺人事件がなくなることは絶対にないということです。

なぜそういえるか? 理由はとても簡単で、殺人事件は、「命の大切さ」や「命の尊厳」を知らないから起こるわけではないからです。今から詳しく説明しましょう。

そもそもなぜ「命の教育」を実施しているかというと、以下のような論理展開が前提にあるからだと考えられます。

  1. 子供が人を殺すのは、「命の大切さ」を理解していないからだ(「命の大切さ」を理解しているならば、人を殺すことはない)
  2. 「命の大切さ」を理解するためには、学校で「命の大切さ」を教育しなくてはならない
  3. よって、学校で「命の授業」を実施しなくてはならない

この三段論法について、色々と反論は考えられます。例えば2番ですが、「命の大切さ」を教育するのは学校ではなく家庭がふさわしいのではないかといった批判です。私も同意見ですが、ただ、今回私がいいたいのはそういうことではありません。

この三段論法は、「命の大切さ」を理解していれば殺人をしないはずだという1番の大前提があるのですが、これは果たして真実なのでしょうか。もちろん、そういうケースがあることは否定しませんが、世の中にある多くの殺人事件は、「命の大切さ」を理解しているからこそ発生しているのではないでしょうか。

例えば、Aという人が、Bという人をとてつもなく憎んでおり、復讐を企てているとします。AはBへの復讐を実行し、Bを殺害するに至った。果たしてAは、Bの「命の大切さ」を理解していないから殺してしまったのでしょうか? むしろ逆であって、「命の大切さ」を理解しているからこそ、Bの命を奪うことが、復讐として最高の形であることを知っていたのではないでしょうか。

Bからお金や仕事を奪っても(それはそれでBにとってきついことですが)、それはAの復讐心を満たすにはあたりません。お金や仕事は取り返しがつくからです。しかし、命という(少なくとも現代の科学では)絶対に取り返しのつかないものを奪うことができれば、それはAの復讐心を満たすにあたるかもしれない。つまり、AはBの命が大切であることを知っていたからこそ、殺害という方法で復讐を実行したのではないでしょうか。

色々と反論が来そうなので予め弁解しておくと、もちろんこれは極論です。憎悪から必ずしも殺人に至るとは限りませんし、殺人を望まない(むしろ生きて罪を償うことや終身刑を望む)人もいるかもしれません。また、Aの復讐心が殺人で満たされるとは限らず、Bを殺してみたがやはり復讐心は満たされなかったということもありえます。

また、子供であるがゆえに「命の大切さ」を本当に理解しておらず、それを理解して殺人の罪の重さがわかったという人もいるでしょう。そういう事例が存在すること自体は否定しません。

ただ、私がこの例を通じていいたいことは、殺人は「命の大切さ」を理解すれば防げるものではないということ。むしろ、「命の大切さ」を理解すればするほど、殺人への欲求が高まることもありうることを主張したいのです。

今回の長崎県の殺人事件では、犯人の女子生徒は「人を殺してみたかった」と述べているそうです(「人を殺してみたかった」長崎同級生殺害容疑の生徒)。この発言の真意は分かりませんが、これは、「命の大切さ」を知らないというより、(少なくとも知識としては)知っているがゆえの発言に思われる。

人によるかもしれませんが、命は一つしかないものと学校で教育されたとき、子供の多くは「そうか。では命は大事にしなくてはいけないな」よりも「では一つしかない命を奪ったらどうなるのだろうか?」「人を殺したらどうなるのだろうか?」という好奇心がわくのではないでしょうか。「~してはいけない」と禁止されたとき、「~したらどうなるのだろうか」と逆にやってみたくなるものだからです。

「では命の大切さの教育をやめろというのか」という反論が来そうですが、そうは申しません。「命の教育」自体はあってもよいと思いますが、上記のような危険性を考慮すべきだと思います。今回のような事件が起きたとき、教育関係者は「命の大切さが子供たちに伝わっていなかった」などと思うようですが、むしろ「命の大切さ」が伝わっているからこそ、大切な命を奪う殺人行為への好奇心が発生することもありうることを自覚すべきでしょう。それなのに、「子供たちに命の大切さを説明する」などという施策をとるのは意味がありません。

世間では様々な教育の議論がされています。「命の大切さ」ではなく殺人をしたときのリスクを子供に教えるべきだとか、殺人をしたがる子供(一種のサイコパス?)は一定数存在することを認めた上で教育をすべきだとか、「命の大切さ」という個々人の感情に依存するのではなく殺人をしづらくするシステムを作るべきだとか。私は教育者ではないので具体的な対策について述べるつもりはありませんが、上記のような「命の教育」一本槍の教育だけは改善すべきだと考えます。

「人の気持ちを考えろ」でいじめは絶対に防げない

少し余談になりますが、「命の大切さ」を理解すれば殺人をしないはずだという発想は、「人の気持ち」を理解すれば人を傷つけないはずだという発想とよく似ています。

いじめの問題などが起きたとき、よく「人の気持ちを考えろ」といわれますね。私も学校で同じ言葉を聞きましたが、この言葉でいじめがなくなったことは皆無ですし、恐らく他でもないでしょう。理由は「命の教育」と同じで、「人の気持ち」を理解すれば人を傷つけないはずだという大前提が間違っているからです。

いじめというのは「人の気持ち」を考えないのではなく、むしろ考えているからこそできることです。いじめのやり方は色々あるのでしょうが(暴力や恐喝や無視など)、どれも相手が嫌がるからこそやることです。恐喝が通じない相手には暴力、暴力も通じない相手には無視というように、いじめる側はいじめられる側の反応を見てやり方を変えてゆく。これは、いじめられる側の気持ちを察した上で行動しているわけで、「人の気持ち」が分からない人間には絶対にできないことです。

なお、今回の趣旨と外れますが、私は以前「人の気持ち」「マナー」「迷惑」は現代の「錦の御旗」であるという記事を書いたことがあります。ご興味のある方はお読みください。

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「命の教育」をしても殺人が絶対になくならない理由」への9件のフィードバック

  1. 凄いですね…まさに”教育現場の外”の人の発想だなと思いました。言葉のとらえ方を変えて遊んでいるだけで、具体的な方策は何も提示していませんし…。まさにどっかのニュース番組と同じですね。

    実際に命の大切さを知っても、精神病の影響で殺人行為の欲求にかられる生徒に関してはある意味仕方ありません。そういう子は早めに医者にみてもらう必要があります。酒鬼薔薇聖斗もそうでしたよね?学校の対応としては養護教諭と共に協力し、そのような生徒を早期発見することです。

    学校で行っている命の教育はそういう生徒を対象にしたものではなく、普通の生徒にしてるわけです。良心と理性をしっかり持っている生徒です。「ムカツク→殺そう」この間に良心と理性が入り、殺そうという気持ちを抑えてくれます。学校ではその良心と理性を育成するのが目的です。

    実際に学校で教育をしているわけでもないのに、偉そうに批判ばかりしている記事ばかりで辟易します。そういう方に限って「じゃあどうするの?」に答えられないですし。失笑です。

    • > Classick様
      初めまして。コメントありがとうございます。

      言葉のとらえ方を変えて遊んでいるだけで

      • 本文中のどの箇所が「遊んでいる」だけといえるか
      • 「遊んでいる」だけによってどういった問題点があるのか

      具体的にご指摘いただけるでしょうか。

      ご指摘ができないのでしたら、これは何の批判にもなっていません。
      「遊んでいる」というレッテルを貼って、批判をしたつもりになっているだけです。

      学校ではその良心と理性を育成するのが目的です。

      「良心と理性を育成する」ことはその通りだと思いますが、その方法として「命の教育」をすることは絶対的に間違っていると私は主張しているわけです。
      「良心と理性を育成する」こと自体は全く否定しておりません。

      実際に学校で教育をしているわけでもないのに、偉そうに批判ばかりしている記事ばかりで辟易します。

      「実際に学校で教育をしている」ことと、その人の意見が正しいことにはどういう関係があるのでしょうか?
      教育関係者でない人でも正しいことを述べている人はいらっしゃいますし、教育現場にいるからこそ自分の経験談に則ってバイアスのかかった意見を持つ人もいるのです。
      議論とはその意見の正しさのみで行われるべきであって、発言者の背景によって行われるべきではありません。

      「実際に学校で教育をした人しか教育を批判してはいけない」
      というのは、
      「実際に戦争を経験した人しか戦争を批判してはいけない」
      と同じぐらいバカげた意見だと思います。

      そういう方に限って「じゃあどうするの?」に答えられないですし。

      「批判をするなら代案を出せ」式の意見はよく見かけますが、私は批判それ自体が「代案」になると思っています。

      適切な批判によって「この案は間違っている」ということが分かれば、それ以外の案から選べばよいことが分かります。
      「それ以外の案から選べばよい」これ自体が既に代案になっていると思うのです。

      「それ以外の案から、どれを選ぶのか」については別途議論が行われるべきですし、その中で「選ばれたこの案は間違っている」ことが分かれば、それもまた代案になりえます。

    • 亀レスですが。
      こちらからすれば、まさに”福祉現場の外”の人の発想だなと思いますよ…。青少年の犯す殺人が、単純な「殺人欲求」だけに依ると考えるのは誤りです。「殺人者≒精神病患者」であるかのような記述には差別意識さえ感じられますねぇ…。笑止です。

      • > kicks様
        初めまして。コメントありがとうございます。

        青少年の犯す殺人が、単純な「殺人欲求」だけに依ると考えるのは誤りです。

        「殺人」を犯す「青少年」が皆「殺人欲求」を抱えた「精神病患者」や「サイコパス」のような存在だ、とは私は一言も書いていないはずですよ。
        あくまで、「命の大切さ」を教える現代の教育では、かえって殺人への希求を強めることもありうる、と書いただけです。
        「青少年」に限らず、「殺人」に至った背景には、単純な欲求以外にも様々な要因があるのは当然のことです。

      • meteorite1932さま、横からで申し訳ありません。十宮という者です。
        kicks氏は「Classicks氏の」、殺人者≒精神病患者的な論法に反論しているのであって、あなたの記事に反論しているわけではないと思いますよ。

        私としては、kicks氏の言い分及び、記事の内容に賛成したいと思いますね。
        人間、どれだけしっかりした倫理観があろうと、怒りや絶望がそれを凌駕するような瞬間があるわけで、
        そういう瞬間には実際に「命=大切なもの」論法が逆に作用するということはありうると考えます。
        そうしたことを一切考えず「理性や倫理観をどんな時でも維持できるのがよい人間で、逆境に際しそうしたものが揺らいでしまう人間は病気の人でなしだ」などと言う人は例え多少教育に通じていても、人間という存在のことは何もわかっていないのだと感じます。

  2. 「命の大切さ」を教える現代の教育では、かえって殺人への希求を強めることもありうるということに関しては、私自身は精神科医でも教育者でもないので成否は判断できませんが、ここではある一例を述べさせていただきます。

    今はそんな気は毛頭ないのですが、実は私は殺人をある程度本気で
    考えていたことがあります。
    ナイフ格闘術の仕方を調べたり、警察に見つからない証拠隠滅の方法を考えたりする程度でしたが。
    そして私の場合の動機は、欲求不満でした。
    子供のころ、私はよく喧嘩してそこそこ強かったのですが、時間が経つにつれ
    周りの人々は大人しくなり、喧嘩を売られることもなくなりました。
    そこで何年も争いもなしに普通の日常を過ごしていましたが、
    ある時、大学でささいなことから、殴り合いにまでは行かないまでもその寸前までに行くような『事件』がおきました。
    その時私は、恐怖はまるで感じず、逆にもの凄く幸せな気分でした。
    そしてこうとも思いました、『これだけでもこんなに楽しいのに、実際に人を痛めつけて、殺して見たらどんなに面白いのだろうかと・・』
    その時私は、大学にも退屈していましたし、最悪自分の命がどうなっても
    良いと考えていました。
    自分の命はどうでも良いのに、見ず知らずの他人の命をどうとも思うはずが
    ありません。
    昔の道徳の授業など、まるで頭にもよぎりませんでした。『命の大切さ(笑)』です。
    その後、ほどなく実家から、祖母が老人ホームに入ることになったという知らせを受け、よくよく考えると自分の命や赤の他人のことはどうでも良くても、親を悲しませるわけには行かないと考え、私の密かな計画は永遠に消え失せたのです。

    私の場合の衝動は命の大切さを教えられていたことからの好奇心というより、命の価値をなんとも思っていなかったからこその衝動でした。
    人間の命も虫の命も同じだと考えていたのです。
    『「命の大切さ」が伝わっているからこそ、大切な命を奪う殺人行為への好奇心が発生することもありうること』の正しさに関しては他人がどのような理由から殺人の衝動を持つかは分からないので、前述した通り私には判断できませんが、それが正しくとも現実的に、なんらかの対策を取り完全に『「命の大切さ」が伝わっているからこそ、大切な命を奪う殺人行為への好奇心が発生することもありうること』をなくすのは難しいと思います。

    例えば、私のような自棄的なサイコな傾向があるタイプに対して殺人を犯した時の不利益を教育したとしても無駄でしょうし、『命を大切にしよう』という本や言説は教育の現場でなくともとてもポピュラーな物です。
    極論を言って『命の大切さ』を知ることによって好奇心から殺人衝動が発生する人が仮にいるとしたら、その人たちは道徳の教育をどのような形にしても、いなくならないでしょう。

  3. ずっと昔の記事に対して書いてしまう者です。
    反論が多い中ですが。私はおおむね賛成できます。違う所があるとすれば、命は大切ではないと考えを持っているだけですね。
    ルールとして決まっているから殺人をしてはならない。

  4. 他人の命が大切だから奪いたい、ではなく
    大切らしいから奪ってみたい、が正解ではないでしょうか

    前者は命の大切さを頭で理解している状態であれど心で感じている状態ではありません。
    頭と心の両方で分かった状態が真の理解です。

    現に私も前者の理由で殺人を考えていましたが、心で真に命の大切さを理解した今、当時の私の考えを絶対に否定することができます。

    しかし心で命の大切さを理解するには学校教育では難しいでと思います。
    自然や生と死から切り離された現代社会ではよほど勘のいい子供か偶然の出来事で悟る以外に方法が無いのです。
    文明の発達は必要ですが、自然との共存を十二分に考え人らしい心を育む事が一番大切です。

  5. タイトル : 腑抜けてしまった教育の改革が必要

    いじめは からかう軽い気持ちから始まります。
    だから、どの時代であっても 無くすことはできません。
    いじめは、なぜ無くならないのか?
    先生が、いけないことをした生徒に ビンタをしないからです。
    先生と生徒を 意気地のない そんな関係にしてしまった教育方針が
    学校を 人間関係を ダメにしているのです。
    こんな教育現場にしたのは(社会党系 共産党系)の人たちであり、逃げの教育委員会です。
    今で言うと、 憲法9条を守れと騒いでいる 民主党→民進党 も その一派です。
    9条の札を見せれば 中国が大人しくしているのでしょうか? 現実は全く違っていますね。
    いじめは 謂わば (乱暴・狼藉)です。
    それに対しては、間 髪(かん はつ)を入れず 力によって、それは いけないことだと 悟らせることです。

    先生が ビンタをするのには 正当な理由(わけ)がある。
    (何が何でも暴力反対)と言っていたら 教育はできない!!!
    悪いことをした生徒が後悔できるように叱るのは(ビンタ)です。
    先生にビンタされて、自分の頬が ジーン とします。
    集団でいじめた生徒たちをビンタした先生の手も痛い筈です。
    ビンタをされて やっと( あぁ いけないことをしてしまった ! )と 気づくものなんです。
    自分の頬の痛さを通して いじめられていた子の気持ちを知り いじめてしまった自分と 繋がるのです。
     
    口で言っても その場逃れの人間を作ってしまうだけです。
    先生は 教師は 尊敬され、 だけど 怒ったら怖い という存在でなければなりません。
    あの時 先生にビンタしてもらって 良かったなぁ・・・ と 大人になっても 尚更に ありがたく感じます。

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