「読まずに批判する」人にも理解させるのが筆者の責任

ブログで記事を書いていると、記事の内容に対して批判を頂くことがあります。それ自体は別に構いませんが、批判の中には、記事をきちんと読まずに批判していると思われるものがいくつかあります。例えば、佐藤優を斬る「人の気持ち」「マナー」「迷惑」は現代の「錦の御旗」であるに対しての批判がそうです。

こうした現象はブログ筆者には普く起きているようで、「読まずに批判」で検索しただけでも色々出てきます。

私はブログを開始するまで、こうした意見は批判を否定するための言い逃れだと思っていたのですが、そうではないことが分かりました。確かに、文章をまともに読まずに批判する人々が一定数存在する。

こうした「読まずに批判する」人たちについては、反論せずにスルーという対応が多いように思われます。確かに、「読まずに批判する」人は丁寧に反論したところで読まないでしょうから、賢明な対応といえなくもない。私は極力スルーはしたくないので逐一反論を書くのですが、書きながら(上記のブログ筆者の方々のように)「なぜきちんと文章を読んでから批判しないんだ」「読んだ上で批判しろ」と内心憤慨しておりました。

しかし、最近になって考え方が変わりました。私を批判する人たちは「読まずに批判」しているのではなく、読んでも理解できないから批判しているのではないか。そして、読んでも理解できない人たちが理解できるように説明することが、ブログを書いた人間の責任なのではないかと思うようになったのです。

こう思うようになった背景には、以下の二つの理由があります。

第一に、人間は文章を読んだだけで100%理解できることはまずないということ。相手が自分の主張を理解してくれないとき、人は「相手は自分の文章をきちんと読んでいないのだ」と思いがちですが、そうではなく、読んでも理解できていないことが多い。「相手が理解できないのは自分の文章を読んでいないからだ」というのは「相手は自分の文章を読めば理解できるはずだ」という前提あっての発言なのですが、その前提自体が極めてナイーブかつ非現実的なのです。

例えば、二人で会話している場面を考えてみましょう。互いに互いの言葉を理解しあっているつもりですが、実は自分の勝手な解釈が入っており、相手の真意とは大きくずれた理解をしていることは多々あります。これは相手の話を聞いていないのではなく、自分の主観やバイアスによって、相手から聞いた話を曲解しているのです。

あるいは、書籍を考えてみてもよい。我々はある本を一読して理解したつもりになっていますが、実はその理解が大きく誤っており、後日再読したり他人のレビューを読むことによって、自分の理解の間違いに気づくことがある。これも、本を読んでいないのではなく、読んだ上で誤解しているのです。

余談ですが、以前Twitterで、ある方と議論が全く噛みあわなかった経験があります(「人の気持ち」「マナー」「迷惑」は現代の「錦の御旗」である)。私としては相手に自分の意図が伝わるように説明し、議論のどの部分で理解がすれ違っているのかを確認し続けたつもりなのですが、それでも上手くいきませんでした。双方向性のあるTwitterですらこれなのですから、ブログ記事の文章を読んだだけの人と議論が噛みあうほうが珍しいのです。

第二の理由は、自分の主張を伝えたいと思うならば、理解してくれない相手に対してもフォローするのが責任ではないかと思うに至ったためです。

前述の通り、自分の書いた記事を読んでもらうだけで100%理解してもらおうというのは非現実的な話です。しかし、記事を書いている以上、自分の主張を100%正確に理解してほしいという欲求があるはず。ならば、理解してくれなかった人や批判してきた人に対しても最大限フォローすべきではないかと思うのです。ブログ筆者は記事を書いて終わりではなく、自分の真意を伝えきって終わりなのです。

「自分はそこまでしたくない。理解してくれる一部の人にだけ伝わればよい」と思っている人がいそうですが、甘い話です。自分の記事を絶賛してくれる人が、実は誤読して褒めているだけなんてよくあることです(実際、私にはそういう経験があります)。自分を褒めてくれるイエスマンが欲しいだけなら別ですが、自分の意見を正しく伝えたいと思うならば、それを伝えるフォローは欠かせないと思います。そこまでやりきって、批判していた人たちを「理解してくれる一部の人」に変えるぐらいの気概がなければ、自分の主張を伝えることなんてできません。

以上の二つの理由から、「読まずに批判する」人にも理解させるのが筆者の責任ではないかと私は考えます。この主張を実践するため、私の記事を理解してくれない人たちに対しては、スルーすることなく説明・反論してゆく予定です。

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「読まずに批判する」人にも理解させるのが筆者の責任」への3件のフィードバック

  1. こんばんは。
    先日はお返事ありがとうございます。
    他の記事も面白く読ませてもらっていますよ。
    今回のもよく分かります。
    「読んでも理解できない人たちが理解できるように説明する」
    いい姿勢だと思います。が、読者みんながみんなそうではないと思います。
    これはお互いが理解し合おう、意見を尊重し合おう、という意思があるかどうかという前提が必要である場合も多々あると思います。
    流星群さんの文章はとても論理的で明解だと感じますので、読んで十分理解できると思いますが、それは僕にその前提があるからでしょう。
    やみくもに批判する人はそもそもその前提がないと思いますよ。
    どうなのか判断した上で説明する方が賢明では⁇

    • > とおりすがり様

      コメントありがとうございます。

      他の記事も面白く読ませてもらっていますよ。

      ありがとうございます。最近は毎日更新ではなくなったブログですが、これからもよろしくお願い致します。

      これはお互いが理解し合おう、意見を尊重し合おう、という意思があるかどうかという前提が必要である場合も多々あると思います。

      おっしゃる通り、その前提が共有されていないと、説得や説明は意味を持ちません。
      が、厄介なことに、その前提が共有されているか否かは、実際に説得・説明してみないと分からないのですね。

      多くの有名人ブロガーの方は、その前提を確かめることなく、「記事をきちんと読んでいない奴は前提がない」と判断してスルーされているのでしょう。
      が、私はあえて実際に説得・説明を試みて、前提があるかどうかを確認するようにしています。
      もちろん、明らかに悪意を持って批判してくる人に対しては、ある程度説明した後は相手にしないようにしています。

      例えば、以前Twitter上でお話しした餡‏@utatanecomboという方などは、明らかに悪意前提のタイプの方でしたので、途中で相手をするのをやめてしまいました。

  2. 毎回楽しく読ませてもらっています。
    ボイトレの記事も初学者にも分かりやすく書かれていて感心してます。
    この記事を読んで、嫌なら見るなのフジテレビを思い出しました。
    僕はよくYouTubeを見るのですが、登録者が伸びてる人と伸びない人のアンチの対処法は正反対です。
    伸びない人(登録者が少ない人)はアンチを煽り返すもしくは嫌なら見るなとブロックすることが多いです。
    伸びる人(登録者が多い人)は基本スルーします。
    記事にも書いてある通り前者は結局小さいコミュニティでワイワイやってるだけなので伸びません
    しかし後者は時間を掛けてアンチをも段々と1ファンに変えていきます。そしてどんどんコミュニティが広がっています。
    話しの軸がぶれてしまいましたが、近いものがあるかなと思いました。
    読もうとしない馬鹿は一定数いるし私はそういう人とは関わりたくないし話しても無駄だと思うのでスルーしています。そしてこういう類の人は吐き気がする程嫌いです。
    なので、そんな人にもしっかり向き合おうとする人は尊敬しています。
    そういう人は伸びるべき人だと思います。
    ボイトレ論ももっとこれから伸びると期待していますよ。

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