「AはBである」→「AでないものはBでないというのか」は反論になっていない

「AはBである」という命題に対して、「AでないものはBでない」という命題は裏と呼びます。

そして、勘違いしている方がかなり多いのですが、命題の裏が偽であることを指摘しても、命題に対する反論にはなりません。命題の裏が偽であるからといって、命題が偽とは限らないからです。

なぜこんな話を始めたかというと、私のTwitter上の知人がこんなツイートをしているのを読んだからです。

《「ポケットモンスター○○」で色々と商標登録するのは海賊版対策」》という風説が正しいかどうかはともかく、《逆に商標登録されていないパターンであったら「ポケットモンスター」の付く商標を無関係なメーカーが使用するのが許されるとでも思ってるのだろうか》という反論は完全なる誤りです。詳しく分析してみましょう。

《「ポケットモンスター○○」で色々と商標登録するのは海賊版対策」》という主張は、以下のように換言できます。

  • 「ポケットモンスター○○』が商標登録されているならば、他のメーカーが使用することが許されない。

これに対して、以下のように反論しています。

  1. 「ポケットモンスター○○」が商標登録されていないならば、他のメーカーが使用することが許されることになる。
  2. 上のようなことはありえない。
  3. よって、《「ポケットモンスター○○」で色々と商標登録するのは海賊版対策」》は誤りである。

1番は、反論したい命題の裏を指摘し、裏が偽であることを指摘しているわけですが、だからといって命題が偽とは限らない。裏が偽だが命題は真であるケースなどいくらでもあります。命題と真偽が一致するのは、裏ではなく対偶です。

あと余談ですが、この反論は原文だと「思ってるのだろうか」という疑問文になっています。これは「反語」と呼ばれる悪いやり方であって、この反論は「裏」と「反語」で二重に間違っています。

裏に話を戻すと、命題と裏の真偽が一致すると誤解していることは結構多いように思われます。「逆は真ならず」であることを知っている人はかなり多いでしょうが、「裏は真ならず」を知っている人は意外と少ない。

かの富野由悠季も同じ誤りを犯していました。富野由悠季 ’96という動画の2:02で、富野はこんなことをいっています。

「バイストンウェルを知る者は幸せである」。「バイストンウェルっていう世界を知らない人は不幸なのか」っていう話になるわけですけども、事実そうです。

これは「富野節」の一つであって、論理学的に真剣に捉えるべきものではないかもしれません。私もそれは承知していますが、あえて指摘します。「バイストンウェルを知る者は幸せである」が真ならば、真であるのは「幸せでない者はバイストンウェルを知らない」であって、「バイストンウェルっていう世界を知らない人は不幸」ではありません。

富野の発言はさて置くとしても、議論において、裏が偽であることを指摘して反論したつもりになっている人は意外と多い。その理由は、「裏は真ならず」は「逆は真ならず」よりも直感的に理解しにくいからではないでしょうか。

例えば、「日本人は親切である」という命題が真であるとします。命題の逆は「親切なのは日本人である」ですが、これがおかしいことは誰しもお分かりでしょう。このように、命題とその逆は、真偽が一致しないケースが簡単に発見できるので、「逆は真ならず」が分かりやすいのです。

しかし、裏についてはなかなか難しい。「日本人でない者は親切でない」といわれると、「確かに日本人以外の人は親切な人少ないよなあ」と何となく納得してしまわないでしょうか。もちろん、「日本人は人間である」と「日本人でない者は人間でない」のように、明らかに真偽が一致しないものもあるのですが、「親切」などの抽象的な概念になってくると分かりづらくなってきます。

別の例を挙げてみます。議論や会話の中で、「AはBです」「裏を返せば、CはDということですね」という受け答えを見たことがないでしょうか。「裏」の意味にもよりますが、命題の「裏」という意味だと捉えると、「AはBである」⇔「CはDである」という換言は明らかにおかしい。しかし、これがおかしいと即座に見抜ける人は少ないのではないでしょうか。それどころか、「確かに、裏を返せばそうともいえるよなあ」と納得してしまう人が多いのではありませんか?

正直にいうと、私自身こういう間違いを犯してしまうことがあります。「AはBである。裏を返せば……」のように発言してしまい、「今のは裏だから、成立するとは限らないんだった」と思うことがあります。「裏を返せば」式の思考法を常日頃から自戒しないと、この誤りからは脱却できません。

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「AはBである」→「AでないものはBでないというのか」は反論になっていない」への7件のフィードバック

  1. 論理学では普通「AはBである」といえば「A→B」のことだと解釈するようになってますが日常的には「AはBである」を「A→BかつB→A」というつもりで言うことも多いので一概には言えないと思います。

    • > 森岡のおっさん様
      初めまして。コメントありがとうございます。
      なるほど。私は想定していませんでしたが、確かに「AはBである」を「A=B」という意味で述べているならば、「AでないものはBでないというのか」が反論として成立しえますね。
      もっとも、そういう事例は数式(1+1は2である)か言い換え(太陽はお日様である)ぐらいしかないように思いますが……。

  2. これ、日本語の「は」「が」の問題だと思います。「バイストンウェルを知る者(のみ)は幸せである」なら上記の反論は妥当ですし、「バイストンウェルを知る者∈幸せ者」ならご指摘の通り誤りですね。この字面だけ見ると私の印象は前者でした。
    ポケモンの件には更にかける氏の主張が正しいなら海賊版はこの世に存在しないはずだとか思いましたけど・・・(笑)

  3. 私は主張者にA⇔Bという前提があって, この事実を強調するために
    [A⇒B] ⇒ [¬A⇒¬B]が成立することを言っているのかなって思います.
    次の関係が成り立つのでこれを使っているのではないでしょうか.
    [ [A⇒B] ⇒ [¬A⇒¬B] ] ⇔ [A⇔B]

    “「バイストンウェルを知る者は幸せである」。「バイストンウェルっていう世界を知らない人は不幸なのか」っていう話になるわけですけども、事実そうです。”

    という表現は
    「バイストンウェルを知る ⇔ 幸せである」 ‥‥‥ ①
    を仮定しての主張だと思います. これは, トートロジーを並べることで主張の正しさをアピールする手法です.

    この手の表現は「根拠がなくて証明できないが絶対に正しいと思う。」
    という自分の強い意思を表示するものだと思います.

    ちょっと論理学的な議論からはずれてしまいますが、、、

  4. 最初の言い換え、違うんじゃないの?
    「ポケットモンスター○○』が商標登録されていることが、他のメーカーが使用することを許さないことために必要
    じゃないの?(語順を保つために日本語が変だけど)
    なので、対偶は
    「ポケットモンスター○○』が商標登録されていないことは、他のメーカーが使用することが出来るのに十分
    となる。
    違うのかなあ…

  5. 管理人様の主張は正しいと思います。
    個人的にはA=「鳥」、B=「動物」を当てはまると分かりやすいです。
    「鳥は動物である」→「鳥でないものは動物でない」はおかしいですからね。当然ですが、実際には犬や猫などの鳥以外の動物も存在しているからです。
     
    「A=B」(以後、これは『「AはBである」=A→BかつB→A』の意とします)についてですが、
    命題が「AはBである」であるとき、その前提が必ずしも「A→BかつB→A」を意味するとは限らないと思います。

    例えば、A=「私と血のつながっている母」、B=「私が産まれる原因となった卵子の持ち主」であれば「AはBである」即ち「私と血のつながっている母は私が産まれる原因となった卵子の持ち主である」
    となり、真であるとします。すると「私と血のつながっている母でない者は私が産まれる原因となった卵子の持ち主ではない」という反論も正しいと言えます。(換言:私と血のつながっている母でない者=私と血のつながっていない人)
    確かにこの場合は「A=B」の前提の説明がなくともA→BかつB→Aが隠れた前提としてありますので、「AでないものはBでない」が成立します。 
    しかし、例えばA=(1+2)、B=3で「AはBである」即ち「(1+2)は3である」が真のとき、「(1+2)でないものは3ではない」
    は成立しません。3と等しくなる計算式が無数に存在するからです。他にも上記の鳥と動物の例でも同様です。
     
    このように成立するものとしないものがある以上、Twitterなどで出された命題が必ずしも「A+B」の隠れた前提を含むとは限りません。
    仮に命題者が「A+B」を意識したとしても同様です。(個人的には「A+B」が成立する状況ってあまりないと思いますが)
    従いまして、命題が「AはBである」であるとき、反論としてその裏「AでないものはBでない」の指摘は反論したつもりになった気がする
    だけで反論になっていない恐れもあります。
    (管理人様のボイトレ記事で紹介されていた世の中の間違った「ミドルボイス」「ヘッドボイス」の定義と鍛え方のように誤解が生じるかもしれないと思いました)
     
    「AはBである」の反論は基本的には「AはBではない」ではないでしょうか。
    (論証するには「BがAでないという信ぴょう性のある根拠」を提示する必要性がありますが、テーマから外れるので詳細を割愛します。)

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