社会人二週間目を終えた所感

最近は新しい記事をほとんど書いていませんが、それでブログのアクセス数が減少したかというとそうでもなく、今まで通りのアクセス数を維持しています。

4月1日に社会人デビューしてから2週間ほど経つのですが、もう既に働くのが嫌になってきています。

仕事が大変というわけではなく、職場の人間が嫌な人たちというわけでもありません。残業もほとんどありませんし休日出勤もなし、非常によい職場だとは思います。

が、それでもなお、私は働くことが楽しくない。その理由を一言で表せば、働くことに金銭獲得以上の意味を見出していないからでしょう。

2013年12月5日にあなたは仕事が生きがいですか?という記事を書いたことがあります。そこで述べたことですが、仕事とは金銭獲得の手段であるだけでなく、他者や社会から必要とされる度合いが強くなるという側面があります。

例えば、こんなことを書いている方がいらっしゃいます。


「無職」や「フリーター」「ニート」全員がこうとは限りませんが、働いてないことによって「自分は社会に必要とされていない」という感覚を持っている人がいる。就職活動中の学生にも、「内々定」が頂けずに「社会に必要とされていない」感覚を抱く人がいるようです。

翻って私はというと、この感覚は皆無です。私も就活時代に「内々定」がなくて(いわゆる「無い内定」)焦ったことはありますが、それは卒業後の進路が決まらないことによる将来への不安であって、「自分は社会に必要とされていない」という感覚では全くなかった。私にとって、社会に必要とされるかどうかなど些細な問題だからです。

そんな私ですから、仕事に対して「自己実現」や「承認欲求」など一切抱いていません。仕事というのは人生の一部にすぎないと思いますし、それで人間の価値が決まるとも思わない。人生の実はただ生きることの中にでも書きましたが、「一人の人間が生きて死んだ」ことの重みに比べれば、他の一切はどうでもいいことです。

こういう生き方はある意味では楽ですが、仕事面ではマイナスに働きます。仕事に対して金銭獲得以上のやりがいを見出すことができないため、なぜ自分がしたくもない仕事をしているのか納得できないからです。普通の人は「家族を食わせるため」とか「将来出世するため」といった理由で、嫌な仕事でも我慢するのですが、私にはその理由がない。ですから、仕事に対してモチベーションを向上させることが難しい。

「自分の生活費を稼ぐため」は理由として成立しているように見えますが、「では何のために生活するのか?」という疑問が生まれます。「自分が生きるため」なのですが、なぜ自分が生きる必要があるのか分からない。私が死んで悲しむ人間を別にすれば、今すぐ自殺しても構わないわけです。

我々人間は何となく人生を生きていますが、その理由を探ってゆくと、「家族のため」とか「社会のため」とか「野望のため」とか、他者的な理由から生きていることが多い。正確にいえば、他者的な理由があるからこそ、自殺を思いとどまっている。その理由を排除して自己本位的に生きた場合、生きる理由を見出すことができず、自殺を抑える理由はどこにもありません。福本伸行『アカギ』『天』に登場する赤木しげるは、まさにそういう「生きる理由が分からずに破滅的に生き、最後には自殺した」キャラクターでした。

私が現在自殺せずに生きているのは、まだ20年ほどしか生きていないから。むやみに長生きするのがよいとは思いませんが、とりあえず赤木が死んだ53歳までは生きようと思っています。それ以降どうするかは分かりません。

あと、今後考えが変わる可能性があるから生きています。今は自己本位的に生きている私ですが、今後仕事に生きがいを見出すかもしれず、誰かと結婚するかもしれず、他人のために生きるかもしれない。もちろん、そうならずに53歳になっても今のままの可能性もある。現在の自分の考えが若気の至りなのか、自分の生涯の考えなのかを見極めるために生きています。

自殺することはいつでもできるので、今は「人生が生きるに値するか否か」を見極めるために生き続けることにします。

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社会人二週間目を終えた所感」への5件のフィードバック

  1. はじめまして。ふとこのブログを見つけ読ませていただきました。
    大変学術的で、奥深い内容ですね。社会人になられたということですが、学生時代にはきっとたくさん本をお読みになり、すばらしい成績を納め、多くの偉人が残した思想や学問をもとに、独自の確固たる哲学を打ち立てられたことでしょう。
    それだけの教養があるにもかかわらず、社会に出られてまだほんのわずかな期間で限界のようなものを感じていらっしゃるのが非常に残念です。最近、ニュースなどではよく入社して数日で「労働環境が過酷だから」とか、「人間関係が理解できない」などで辞める人が多いと聞きますが、筆者様の場合はそれとは違うようです。仕事に対して本当に奥深く意義を考えていらっしゃるようですが、かえってそれが行き過ぎて後ろ向きになってしまっているようで正直、もったいないのではと感じます。仕事の意義を考えることはもちろん大事なことですが、まだ始まってしばらくの状況で、「生きるに値するか」までお考えになるのは少しお早い気がします。
    筆者様自身も「今後考えが変わる可能性がある」とおっしゃっていますが、新たな生活環境も相まって、しばらく会社で勤務されればきっとそうなることと思います。いまはそれに身を任せ、もう少々柔軟に、前向きに過ごされてはいかがでしょうか。
    私も社会人を何年か経験しておりますが、入社時、残念ながら筆者様のような理路整然と将来を見据えるだけの知識や能力はありませんでしたが、やってくる仕事や変わっていく生活の流れをとりあえずポジティブに受け止めた結果、現在の楽しい毎日を享受できている次第です。
    筆者様の今後の社会人としての毎日がより良いものになるよう願っております。

    • > 通りすがり様
      初めまして。コメントありがとうございます。

      > 筆者様の場合はそれとは違うようです。
      おっしゃる通りですね。
      世間でいわれる「働きたくない」というのは、多くの場合「働きたい環境で働くことができない」「一緒に働きたい人たちと働けない」といった意味が強いと思います。
      私の場合はそうではなく、「どんなに恵まれた職場と仲間であったとしても、働くことを肯定できない」というものですからね。

      > まだ始まってしばらくの状況で、「生きるに値するか」までお考えになるのは少しお早い気がします。
      率直にいいますと、生きる意味について考えたのは社会人になってからのことではなく、もう何年もそういう状態が続いているのですね。
      ただ、大学生時代は自由な時間が多かったので、何となくそのときどきでやりたいことを謳歌して、それで人生が楽しかったわけです。
      ところが一転、社会人として働き始めると、やりたくもないことをやって、やりたいことはできない。これで生きる意味などあるのか? と今まで以上に自問自答するようになりました。

      > 筆者様自身も「今後考えが変わる可能性がある」とおっしゃっていますが、新たな生活環境も相まって、しばらく会社で勤務されればきっとそうなることと思います。
      記事ではああ書きましたが、実をいいますと、変わる可能性はほとんどないのではと自分で思っています。
      理由は、変わる気が私にさらさらないからです。「変わりたくても変われない」ならともかく、「変わろうとしない」のですから、難しいでしょうね。

      > やってくる仕事や変わっていく生活の流れをとりあえずポジティブに受け止めた結果、現在の楽しい毎日を享受できている次第です。
      自分がそうなれるか否かは疑問ですが、社会人、ひいては人生の先輩である通りすがり様の言葉をありがたく頂戴致します。

  2. いくつかの記事を読ませていただきました。「社会人二週間目」の感覚、少し共感いたします。私も仕事を楽しんだりする気なんてさらさらなかったのです。(入社半年後には意に反して面白くて仕方なくなっていたのですが、それはさておき、)それでも私が前向きに就職を志したきっかけは、一年早く働き始めていた同じ哲学科の友人の言葉でした。「大学の人は色々と社会批判するけど、大学の外の社会を知らずに社会批判なんて嘘だと思う。」なるほどと思い、就職しました。働く理由のひとつとして、いかがでしょうか。

    • > naokakaizuさん
      初めまして。コメントありがとうございます。

      > 「大学の人は色々と社会批判するけど、大学の外の社会を知らずに社会批判なんて嘘だと思う。」
      哲学にも色々と種類がありますが、その「哲学科の友人」はなかなか社会的な視点をお持ちの方ですね。
      ただ、仕事の厄介な点は、やめることができないということにあります。
      「社会」を知った後で、やはり「社会」はくだらないから働くことをやめよう、というわけにはいかないのですね(働かなくても生活できる金持ちを除いて)。
      私は、働きたい人間だけが働いて、働きたくない人間は働かない社会ができればよいと思っているのですが、難しいだろうなと思います。

      • ご返信ありがとうございます。ひとのブログにコメントしたのは初めてでしたので、嬉しいです。
        おっしゃることには同感です。敢えてさらに言うなら、社会をある程度知ることができ、ここにはこれ以上のものはないと思われた暁には、転職を考えると良いのでは(二十代のうちなら、高望みしなければ、転職は難しくありません)。そこにまた別の「社会」、別の視点があるかもしれません。
        というわけで、短くても二週間よりは長い賞味期限があるだろうと思い、書き込ませていただいたしだいです。
        私は大学の哲学科でユートピア思想をかじっておりました。資本主義を超える、かつ人間らしい、かつできるかぎり平等な社会制度を考え出すことはいまだできずにおりますが(そもそもそれは『社会』と呼べるものかわかりませんが)、「働きたい人間だけが働いて、働きたくない人間は働かない」これが実現できるような、人がもっと自在に生きられる世があれば良いなと思っています。

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