矢吹丈と赤木しげる──「あしたのジョー」論その十一

「あしたのジョー」論第十一回です。今回は、福本伸行『天』『アカギ』に登場する赤木しげるというキャラクターと矢吹丈について考えます。

※「あしたのジョー」論は全十三回です。全記事一覧をご覧になりたい方は、タグ「あしたのジョー」か、記事「『あしたのジョー』論」をご覧ください。

目次

赤木しげるについて

この記事をお読みになっている方は、矢吹丈についてはご存じでしょうが、赤木しげるについてはご存じでないかもしれません(逆もあるでしょうが)。そこで、赤木しげるについて簡単に説明をしておきます。2013年9月21日の記事より引用します。

赤木しげるは、福本伸行の漫画『天』に登場した中年の男性キャラクターです。元々は脇役でしたが、彼が主人公の天貴史よりも人気を博したため、途中からは赤木のほうが出番が多くなり、「赤木が主役、天は脇役」とまでいわれるようになりました。

後に赤木の青年期を描いたスピンオフ『アカギ』まで始まり、現在も連載中です。

『アカギ』が連載終了していないので、赤木の青年期・壮年期については不明な点も多いのですが、壮年期・晩年については『天』に詳しく描かれているので、ここから赤木の思想を読み取ることができます。

少しネタバレになりますが、赤木は晩年アルツハイマーになり、症状が進行して自分の意識があやふやになる前に人生を終わらせようと考え、自殺しました。この赤木の自殺の経緯を描いたエピソードを「通夜編」と呼びます。詳しく知りたい方はタグ「赤木しげる」よりどうぞ。

ジョーと赤木を比較するという記事は、書籍やインターネットでもほとんど見当たりません。「あしたのジョー」が好きな私が「アカギ」にハマるのは必然!!というブログ記事を発見しましたが、恐らくこれぐらいではないでしょうか。しかし、私にとってジョーと赤木は極めて近いキャラクターに思われるのです。

今回は矢吹丈と赤木しげるという二人のキャラクターを比較し、その共通点や相違点を明らかにすることによって、二人のキャラクターをより深く理解しようという試みです。

矢吹丈と赤木しげるの共通点

自己本位であること

矢吹丈と赤木しげるの人生を見て第一に感じることは、その自己本位的な生き方です。

第十回で説明した通り、ジョーは一貫して自分のためだけに戦い続けた男です。最初は力石徹を倒すため、次に力石の「亡霊」を倒すため、最後にはホセ・メンドーサと戦うためですが、いずれも誰かのためにしたことではありません。ただ自分がそうしたいからしてきたことです(それで結果的に人を喜ばせたことはありましたが)。これは梶原一騎漫画としてだけでなく、漫画としても珍しい主人公のあり方です。

一方、赤木しげるも自分のために戦ってきた男です。若い頃のギャンブル、壮年期の東西戦など、すべては自分がしたいからしてきたことで、他人のためにしたものは一つもありません。「通夜編」で天貴史が「自分が自分であること…それのみを求め続け 生きてきた男だ」といっていたのは適切な説明です。

ここまでお読みになって、「そんなキャラクターは他にもいるのではないか?」と思われたかもしれません。確かに、自己本位に近いキャラクターでしたら他にもいるでしょう。しかし、ジョーや赤木ほど自己本位を貫いたキャラクターは、実はめったにいないのです。

ジョーや赤木の生き方に共通するのは、他人の思いを跳ねのけてでも自分の思いを貫く強靭な意志です。具体的に説明しましょう。

自分の思いと他人の思いのどちらかしか実現できない場面というのがあります。例えば、こんな例を考えてみてください。

あなたには唯一無二の友人がいるが、その友人が不治の病で苦しんでいるとします。本人は尊厳死を望んでおり、家族も医者もそれを薦めており、反対しているのはあなただけだとします。

もし友人の尊厳死を認めれば、友人は喜ぶことでしょうが、あなたは悲しむことになります。もし友人の尊厳死に反対すれば、あなたは嬉しいでしょうが、友人は悲しむことでしょう。さて、あなたはどうしますか?

この問題の難しさは、友人のことを思えば尊厳死に賛成すべきなのですが、友人が死ねばあなたが悲しむというジレンマにあります。つまり、「友人に死んでほしくない」という自分の思いと「早く死なせてほしい」という友人の思いが対立しているため、いずれかしか実現できないのです(余談ですが、こうした極限状況を「キリスト教信仰」を題材に描いたのが、遠藤周作『沈黙』です。詳しくは2013年11月26日の記事参照)。

上の例は少々大げさでしたが、自分の思いと他人の思いが対立するという事例はどこにでもあるものです。自分はアーティストの道を歩みたいのだが両親に反対されており、両親のことを思えばやめたほうがよい、なんてのはよく聞く悩み相談でしょう。

矢吹丈と赤木しげるの話に戻りますと、この二人は人生において、一貫して自分の思いを優先させています。

例えば、ジョーは力石の死後テンプルが打てずに不調であった時期があります。この時期に皆から心配され、ボクサーをやめることも進言されたのですが、彼は聞き入れずにドサ周りに行きました。自分がドヤ街を去ったりボクシングを続けることで悲しむ人もあろうが、自分はあくまでボクシングを続けるしかないという思いから、他人を振り切ったのです。最後の世界タイトルマッチですら、試合をやめてくれという段平や葉子を抑え、自分が「まっ白に燃えつきる」ことを目指しました。

赤木もあくまで自分の思いを優先させます。自分がしたいと思ったら、他人がだめだといっても勝負を降りますし(赤木しげるの美学と責任参照)、最後は周りの制止を聞き入れずに自殺してしまいました(赤木しげると死(1)参照)。「俺は俺」を貫く人なので、他人が何といおうと関係ないからです。

興味深いことに、この二人は恋愛や結婚や育児といったものを一切経験していません。そもそも興味がなかったからでしょうが、それ以上に、他人の思いを優先させるのが嫌だからだと思います。恋愛とか結婚といったものは、自分の思いだけではなく、他人の思いを考えなければ絶対に成立しません。自分最優先の二人にとっては、それらは自分を阻害するじゃまなものにすぎなかったのでしょう。

自分の思いを優先させるために、恋愛や結婚や子供も一切切り捨て、場合によっては仲間の進言や制止も振り切る。ここまで自己本位を徹底させたキャラクターは稀有ですが、その代表例が矢吹丈と赤木しげるなのです。

「ただ生きる」ことを望まなかったこと

矢吹丈と赤木しげるのもう一つの共通点は、「ただ生きる」ことを嫌うこと、いわば「熱い生き方」を望むことですね。

ジョーは紀子とのデート中、「まっ白に燃えつきる」生き方を唱え、「ブスブスとくすぶりながら不完全燃焼している」生き方を軽蔑しました。赤木も「通夜編」の天貴史との会話で、「人は生きてるだけで価値がある…という その手の感性…御託が嫌いだった……!」と、生きること自体に価値を見出すことを批判しました。二人とも「ただ生きる」ことではなく、自分の理想とする生き方をすることに価値を見出しています。

ちなみに、二人のこうした考え方は、前述の「自己本位」と深く結びついています。

先ほどの「不治の病で苦しみ、尊厳死を望む友人」の話に戻りますが、彼に生きてほしいと願っている人は、「死んでほしくない」「ただ生きてさえいてくれればそれでいい」と思うことでしょう。本人が「ただ生きる」ことを望まなくても、他人からすれば「ただ生きる」だけで構わないから生きてほしいと願う場面はあるわけです。

そういう他人の思いを優先させて、「ただ生きる」ことをも受け入れるのが多くの人々です(それが悪いわけではありません)。が、ジョーと赤木はそれをしませんでした。ジョーは廃人になることを覚悟でホセ戦に臨みましたし、赤木は「通夜編」で文字通り死んでしまいました。自己本位である彼らには、「ただ生きる」だけでいいという他人の思いなど関係ないからです(詳しくは赤木しげると死(1)参照)。

矢吹丈と赤木しげるの相違点

人生の長さ

ジョーは少年院に送られる前15歳でしたが、その後の年齢は定かではありません。原作の連載期間は1968~1973年ですが、「あしたのジョー」の時代設定はそれとリンクしているので、ジョーが1968年の時点で15歳、最後の世界タイトルマッチでは20歳でしょうか(アニメ「あしたのジョー2」の第19話「戦うコンピューター・・・金竜飛」では、ジョーは金竜飛戦の時点で19歳6ヶ月~20歳3ヶ月となっていました)。

一方、赤木しげるは1999年9月26日に53歳で亡くなりました(『天』)。『アカギ』の「矢木戦」「市川戦」では13歳、「浦部戦」では19歳の赤木が登場します。

ジョーは少なくとも20歳までは生きました(その後の生死は不明)。赤木は53歳まで生きて死にました。単に年齢の違いだと思われるかもしれんが、これはとても重要なことだと思います。というのも、ジョーが自分の生き方を貫いたのはせいぜい20年ですが、赤木は50年以上それを貫き通したからです。

人間誰しも若かりし頃は元気ですが、大人になるにつれて丸くなるものです。10・20代の頃はブイブイいわせていた人が、30代に老けこみ、40・50代ではすっかり丸くなっていることもよくあります。若い頃は社会に反抗する歌を歌っていた尾崎豊も、20代になると息子を設けたり個人事務所を設立したりと、すっかり社会に溶けこんだ感があります。それが悪いとはいいませんが……。

話を戻すと、仮にジョーが世界タイトルマッチ後に生きていたとして、彼がボクシングをやめて30・40代になって、「おれも昔は若かったなあ」と昔を懐古しながら丸い大人になっている可能性もあるのです。下手をすると、老けこんだ葉子と昔話なんてしているかもしれません。あまり想像したくありませんが……。

一方、赤木は若い頃とほとんど変わっていません。もちろん、『アカギ』と『天』の時代では若干の変化はありますが、コアとなる「自己本位」や「孤独」の生き方はほぼ受け継がれているといってよいでしょう。東西戦から9年経った後でもほとんど変わらず(アルツハイマーにはなっていましたが)、今までの自分の生き方の完結を求めて自殺しました。

罪悪感の有無

今までに繰り返し説明してきたことですが、矢吹丈の人生に大きな影響を及ぼしたのは力石徹を殺したという罪悪感でした。現実世界でも、災害などで自分だけが助かって周りが死んだことの罪悪感から来る「サバイバーズ・ギルト」というのがあるそうです。「自分の人生が他者の犠牲によって成り立っているという責任感」「自分の行いによって他者が犠牲になったという罪悪感」というのは、良くも悪くも人を変えてしまうものです。

一方、赤木しげるには「罪悪感」と思しきものがほとんどありません。詳しくは赤木しげると他者を読んでいただきたいのですが、作中には彼が誰かに罪悪感を覚える描写が全くないのです。アウトローなキャラクターでこうした性質を持つのは大変に珍しく、私は赤木しげるの特徴の一つだと考えています。

私の推測ですが、赤木が罪悪感を抱くことがないのは、彼の自己本位的な生き方を強調するためでしょう。

ジョーは紀子とのデートで、自分がボクシングをする理由は「(ウルフ金串や力石やカーロスへの)負い目」と「拳闘の充実感」だといいました。後者は拳闘が好きという自分の思いですが、前者は「ボクサーたちの犠牲をむだにしてはならない」と他人の思い優先な部分がある。すると、ジョーは結局拳闘を自分のためにやっているのか、他人のためにやっているのか分かりにくくなってきます。

一方、赤木は他人への罪悪感を持たないキャラクターですから、「他人の犠牲をむだにしてはならない」という理由でギャンブルをすることなどない。ただ自分が好きだからやっているだけなので、自分のためにギャンブルをやっているのだとはっきり分かるのです。

他者とのコミュニケーションのあり方

第一回で説明したことですが、「あしたのジョー」には言葉のコミュニケーションよりも拳のコミュニケーションが勝るという価値観があります。ですから、ジョーは力石やカーロスとは必要以上に喋りません。余計な言葉がなくても、拳で分かりあえるからです。そして、こういう考えがあるからこそ、葉子や紀子といったヒロインの必要性が出てくることは第五回で説明しました。

ですから、ジョーが世界タイトルマッチ後に葉子に渡したのは、言葉でなくグローブでした。ジョーの思いは「百万語」の言葉を使っても伝わりませんが、(ボクシングの拳を象徴する)グローブでなら伝わるからです。その思いが葉子に正確に伝わったかどうかは分かりませんが、伝わる相手だとジョーが考えたことは確かです。

赤木はというと、ギャンブルでコミュニケーションをとろうとは考えていません。彼はギャンブルを好きだからやっているのであって、他人とコミュニケーションするためにギャンブルをしているのではないからです。なので、ジョーのような考え方はとらず、普通に言葉を使ってコミュニケーションを図ります。

ジョーと赤木の違いを鮮明に表すのが「通夜編」の存在です。ジョーであれば、死ぬ間際の通夜の会話など絶対にしないでしょう。薄っぺらい言葉を交わしたところで意味はないからです。

赤木は「通夜編」の会話についてこういっています。

死んでからみんなに
ワラワラワラワラ集まってもらったって
死んだ当人には何が何やら分からぬ
せっかく集まってもらうなら
死ぬ前だ……!
死ぬ前に会い…話があるなら…
話しておくべきだ……!

ジョーと違って、赤木は言葉によるコミュニケーションを多少は信じていたように見えます。ただ、信じていたとして、それに説得されるかどうかは別の話ですが……(事実、赤木は説得されることなく自殺しました)。

人生の最後のあり方

ジョーは世界タイトルマッチで「まっ白に燃えつき」ました。あのシーンでジョーは死んだのか否かは意見が分かれますが、その話は第七回で既にしたので繰り返しません(ちなみに私は、ジョーは生物学的には死んでいないと思っています)。

ジョーがあそこで死んでいるならば、自分の生き方を貫いて死んだのですから悔いはないでしょう。しかし、もしジョーが生きているとすればどうでしょうか。

ジョーは金竜飛戦の後からパンチドランカー症候群が進行し、ハリマオ戦後は服のボタンすら留められないほどになっていました。ホセ戦では右目の視力もほぼ失っていますから、ボクシングどころか日常生活も危うい状態です。原作者の高森朝雄の当初の案では、ジョーはホセ戦の後車椅子で廃人のようにぼーっと過ごしているという結末になっていたそうですが、そうなってもおかしくないのが終盤のジョーでした。

ここで、先ほど述べた「ただ生きる」ことには意味はないという考え方を思い出してください。車椅子でぼーっと過ごすジョーは、ボクシングも日常生活もままならない「ただ生きる」状態ですが、果たしてこれが「まっ白に燃えつきる」「完全燃焼」な生き方なのでしょうか? ホセ戦で一度「まっ白に燃えつきた」のだからそれで十分なのかもしれませんが……。

一方、赤木しげるは自殺という形で自分の人生をはっきりと終わらさせました。44歳時の東西戦や9年間のギャンブル生活でも死ぬことがなかった赤木ですが、アルツハイマー病により廃人生活が間近に迫っていることを悟った彼は、その前に自殺を選んだのです。

赤木が自分の人生を自殺で完結させたということは、ジョーの生き方に対するアンチテーゼだと思います。「まっ白に燃えつき」た後は生死がはっきりしないジョーに対し、赤木は自分の死を示すことによって自己本位的生き方の帰結を示したのです。

人生に対する思い

ジョーが自分の人生を総括してどう思っていたのかは、「あしたのジョー」にははっきり描かれていません。ただ、最後の「まっ白に燃えつきた」安らかな笑顔を見る限り、「自分の人生に悔いはない。満足している」といっているように私には思えます。ジョーの生死はともかく、かつて力石が安らかに満足して死んだように、ジョーも満足して「燃えつきた」のです。

別の漫画ですが、武論尊『北斗の拳』のラオウも、「我が生涯に一片の悔い無し」と叫んで死にました。ラオウは力石に続いて、実際に葬儀が行われた漫画のキャラクターですね。不思議な符合を感じます。

こういう死に方(ジョーは死んだかどうか不明ですが)はかっこいいのですが、あまりリアリティを感じることができません。というのも、人生というものが自分の思い通りに行かない以上、「一片の悔い無し」と思える人生などまず存在しないと考えられるからです。ですから、こういう最期をかっこいいと思いつつ、「創作物だけの話だよね」と醒めた目線で見てしまうのです。

一方、赤木は「一片の悔い無し」ではありませんでした。ふだんの赤木からは想像もつかないことですが、「通夜編」の終盤で死に際したとき、彼は「無念だ」「くたばるのは無念」と涙を流すのです。ここの赤木の台詞は大変に素晴らしいもので、作者の福本伸行も好きな台詞だといっています(週刊少年「」の5:29)。

無念であることが そのまま「生の証」だ……!

無念が 「願い」を光らせる……!

愛していた…無念を…!

赤木の死の魅力は、こうしたリアリティにあると思います。彼は安易に「我が生涯に一片の悔い無し」などと口にしなかった。自己本位に生きた彼ですら思い通りにならないことがあったが、その「無念」をも含めて人生を愛していたことが我々の心を打つのでしょう。

赤木は力石・ラオウに続いて葬儀が行われたキャラクターであり、しかも毎年葬儀があるのですが、力石やラオウ(そしてジョー)にはない「無念」への愛があればこそ、我々は赤木の死を弔わなくてはならないという思いに駆られるのではないか。

赤木しげるは矢吹丈のアンチテーゼである

ここまで、ジョーと赤木の共通点と相違点を挙げてきました。

赤木という人物のおもしろいところは、「自己本位」「熱く生きる」というジョーの魅力を継承しつつ、「コミュニケーション」や「最後の生死」といったジョーの欠点(?)を克服しているところなのです。赤木というキャラクターはジョー的な生き方の系譜に属すると同時に、ジョーに対して突きつけられたアンチテーゼでもあるのです。

私事で恐縮ですが、私は中学生の頃に原作『あしたのジョー』を読んで以来、矢吹丈というキャラクターに共感すると同時に、一定の反感をも抱いていました。それは「ジョーはむかつく」というものではなく、「ここがこうなればジョーはもっと魅力的なのに」というものでした。

ところが、高校時代に『アカギ』『天』を読み、赤木こそは第二のジョーではないかと思いました。当時はなぜそう思うのかがよく分からなかったのですが、かつての赤木しげる論と「あしたのジョー」論を通じて、それがはっきりと分かりました。赤木はジョーの魅力を受け継ぎつつ、その欠点を是正しているからなのです。

今回は矢吹丈と赤木しげるについて説明しました。次回は、「あしたのジョー」本・サイト・ブログについて説明します。

補足: 自己本位に生きた男・吉良吉影

〔2014年4月13日追記〕本文では触れませんでしたが、ジョーと赤木以外にも、自己本位的な生き方を貫いた漫画のキャラクターがいます。荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険』に登場する吉良吉影です。

吉良吉影について説明しましょう。彼は『ジョジョの奇妙な冒険』の第四部「クレイジー・ダイヤモンドは砕けない」に敵として登場するのですが、敵でありながら絶大な人気を誇るキャラクターです。人気の秘密は、彼の人生観にあります。彼の台詞を引用しましょう。

わたしは
常に『心の平穏』を願って生きてる人間ということを
説明しているのだよ……
『勝ち負け』にこだわったり
頭をかかえるような『トラブル』とか
夜もねむれないといった『敵』をつくらない……というのが
わたしの社会に対する姿勢であり
それが自分の幸福だということを知っている……
もっとも闘ったとしても
わたしは誰にも負けんがね
激しい『喜び』はいらない…
そのかわり深い『絶望』もない………
『植物の心』のような人生を…
そんな『平穏な生活』こそ
わたしの目標だったのに………

「野望」とか「ライバル」でなく「平穏」のために生きるキャラクター。そんな彼ですが、実はある秘密があります。女の手首を愛するという異常性癖を生まれつき抱えており、自らの能力(スタンド「キラークイーン」)を使って女を密に殺害し、手首だけを持ち帰っているのです。

ジョーや赤木とは似ても似つかないキャラクターだと思われるでしょうか? しかし私の考えでは、吉良はジョーと赤木とかなり近いのです。

吉良は女を殺して手首を持ち帰ることを繰り返していますが、もちろんこれは犯罪行為です。吉良にとっては女を殺したいのですが、社会にとっては女(というか人)を殺してはならない。吉良と社会の考えが対立しているわけですが、吉良は迷いなく自分の考えを優先させています。以下の台詞などは彼の生き方をよく表しています。

わたしは人を殺さずにはいられないという
『サガ』を背負ってはいるが……………
『幸福に生きてみせるぞ!』

他人を犠牲にしてでも自己本位的に生きる。この姿勢は、ジョーや赤木の姿勢と全く同じものです。

こう考えると、吉良のいう「心の平穏」という言葉の印象が変わってくるでしょう。彼が考える「心の平穏」とは、家族や仕事に恵まれて平凡だが幸せな人生を送る……といった、多くの人がイメージするであろうものでは全くありません。そうではなく、「女を殺してでも手首を手に入れ、かつ犯罪行為で逮捕されないように平穏無事に生きる」というエゴイスティックな意味です。

ジョーや赤木も反社会性を抱える人物ではありましたが、積極的に殺人や犯罪行為を犯したりはしませんでした(初期のジョーは犯罪ばかりしていますし、赤木も賭博とかしていますが)。そうした反社会性を先鋭化したキャラクターが、吉良吉影なのです。

実は本稿は「矢吹丈と赤木しげると吉良吉影」という記事名にしてもよかったのですが、途中で吉良をメインで取り上げるのをやめました。それは、ジョーと赤木の二人に絞ったほうが分かりやすいのもありますが、吉良が途中から変化してゆくからです。

吉良はある事件をきっかけに、名前も外見も川尻浩作という男にすり替わります。彼は元々独身でしたが、川尻にはしのぶと早人という妻子がいたので、彼らとの生活を始めることになります。

初めはしのぶに愛情など感じていなかった吉良ですが、生活を続けるうちに変化が起こります。ある危険からしのぶを守ったときのことです。

何だ……?
この吉良吉影…
ひょっとして 今
この女の事を
心配したのか?
(中略)
今 心からホッとしたのか…?
何だ…この気持ちは…

この後「このわたしが他人の女の事を心配するなどと…!」と自分の気持ちを否定するのですが、今まで自己本位的に生きてきた彼に、初めて他人本位的な気持ちが芽生えたことは事実でしょう。彼が自分の気持ちを否定したのは、自己本位的生き方をしてきた自分にとって、他人を思いやる気持ちが生まれたのが許せなかったからでしょう。

吉良を本稿から外したのは、他人本位的な気持ちが芽生え始めたために、吉良はジョーや赤木とは一線を画すると考えたからです。ただ、吉良の生き方はジョーや赤木を考える上で参考になりますので、補足で取り上げることにしました。

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矢吹丈と赤木しげる──「あしたのジョー」論その十一」への2件のフィードバック

  1. 私は「天」の最終巻を人生に残しておくべき本として残しています。自分の子供に読んでほしいという気持ちがありますが、教養はしません。自分の生き方に多大な影響を与えているのは事実です。7

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