ボクシング(拳闘)とボクサーについて──「あしたのジョー」論その一

「あしたのジョー」論第一回です。今回はまず、「あしたのジョー」においてボクシング(拳闘)がどのような意味を担っているか、「あしたのジョー」に登場するボクサーたちの位置づけについて説明します。

※「あしたのジョー」論は全十三回です。全記事一覧をご覧になりたい方は、タグ「あしたのジョー」か、記事「『あしたのジョー』論」をご覧ください。

この記事の要旨

  • 「あしたのジョー」においては、ボクシングとは「男同士が行うこと」「人間としての本能に打ち勝つこと」「(言葉でなく)拳で語らうこと」と捉えられている。
  • 「あしたのジョー」においては、ボクシングを「けんか」「ボクシング」の二項対立で捉える考え方と、人間を「一般人」「飢えた若者」の二項対立で捉える考え方が存在する。2×2=4通りのパターンが存在しており、これが「野獣」「精密機械」「サラリーマン」「ハングリー」というボクサータイプに該当する。

目次

「あしたのジョー」のボクシング(拳闘)観

「あしたのジョー」とは、主人公・矢吹丈(ジョー)がボクシング(拳闘)をする作品です。

そして、「あしたのジョー」におけるボクシングとは、単なるスポーツではありません。男たちが、人間としての本能に打ち勝ち、拳で語らうことなのです。

いきなりこう書かれても分かりにくいでしょうから、順番に説明してゆきましょう。

  • 男同士が行うこと
  • 本能に打ち勝つこと
  • (言葉でなく)拳で語らうこと

の三点です。

男同士が行うこと

「あしたのジョー」では、ボクシングとは男がするものということになっています。

現実的な話をすれば、女性が試合をする女子ボクシングは20世紀初頭から存在していましたし、日本でも女子ボクシングの試合は行われていたようです。「あしたのジョー」の時代設定は、(『週刊少年ジャンプ』に連載されていた時期と同じく)1968年~1973年ですから、女子ボクシングが存在していた時代です。

が、「あしたのジョー」の世界では女子ボクシングなど登場しません。ボクシングとは男同士の戦いなのです。

こうした価値観があるため、「あしたのジョー」では、女がボクシングの世界に入りこんではならないという発言が出てきます。今から見ると女性蔑視的に思われるかもしれません。以下は、ボクシングの世界に入りこんでしまった白木葉子の言葉です。

矢吹丈v.s.カーロスリベラの公式戦10回戦前の白木葉子

矢吹丈v.s.カーロスリベラの公式戦10回戦前の白木葉子

も……もしやわたしは女の浅知恵で──
踏み込んではならない男の世界へ
深入りし過ぎてしまったのではないだろうか……
女だてらに……
触れてはならぬ世界に──

ただ、ボクシングが男の世界であるにも関わらず、その世界で生きる矢吹丈(ジョー)という男の運命は、白木葉子という女に大きく左右されることになります。これは一見矛盾に思えることですが、詳しくは後に論じることにします。

人間としての本能に打ち勝つこと

「あしたのジョー」には、非科学的・非現実的と思えるような練習方法が多々登場します。一切の飲食を絶つという減量や、わざと相手に打たせて血を流して勝つ戦略など、今から見ると精神論的なものも多い。

なぜこんなものが多いかというと、「あしたのジョー」には、ボクシングとは人間としての本能に打ち勝つものだという考えがあるからです。

例えば、以下のコマをご覧ください。減量苦に耐えられず、食事をしてしまった西寛一を矢吹丈(ジョー)が叱る場面です(西の鼻からうどんの麺が出ている「鼻からうどん」の場面でもあります)。

矢吹丈v.s.力石徹の公式戦8回戦前の矢吹丈と西寛一

矢吹丈v.s.力石徹の公式戦8回戦前の矢吹丈と西寛一

耐えるってことそのものが拳闘の世界なんだ
おれたちはその世界で生きていくんだ

重要なのは、「耐えるってことそのものが拳闘の世界なんだ」というジョーの台詞です。減量苦とは誰にとっても苦しいものであり、ジョーもそれは否定しないのですが、それに「耐える」ことが「拳闘」だというのです。

つまり、減量苦という人間にとっての本能を、意思によって克服することが大事だと説いているのです。「本能に打ち勝つ」というのはそういう意味です。

こうした本能の克服、意思の勝利を目指す場面は他にも見られます。以下のコマは、上のコマの少し後の回で、ジョーが「目」や「反射神経」の慣れを克服するために練習をしている場面です。

矢吹丈v.s.力石徹の公式戦8回戦前の矢吹丈と丹下段平と西寛一

矢吹丈v.s.力石徹の公式戦8回戦前の矢吹丈と丹下段平と西寛一

このように、人間としての本能の否定・超克を目指すわけですから、「あしたのジョー」におけるボクシングとは、ときとして非人間的なものになっています。

矢吹丈v.s.力石徹の少年院試合の丹下段平

矢吹丈v.s.力石徹の少年院試合の丹下段平

拳闘のリングに人間味なんぞかけらほどもいらんわい

矢吹丈v.s.力石徹の公式戦8回戦前の白木葉子

矢吹丈v.s.力石徹の公式戦8回戦前の白木葉子

それよりあなたが少しでも
ほんの少しでも人間らしい弱さを
持っていてくれたということが
とても うれしいの

上のコマは、減量苦に負けて水を飲みそうになった力石徹(葉子のいう「あなた」)を、葉子が「人間らしい弱さ」といっている場面です。減量苦という本能に負けることは人間的であり、(段平がいうように)本能に打ち勝ち、ボクシングをすることはむしろ非人間的なのです。

こうした価値観があるため、ボクシングを見た一般人は「非常識」とか「気ちがい」とか「狂人」といった感想を漏らします。そして、ジョーや力石もそれを承知で戦っているのです。

矢吹丈v.s.力石徹の公式戦8回戦前、ジョーと力石の練習風景を見た後の新聞記者

矢吹丈v.s.力石徹の公式戦8回戦前、ジョーと力石の練習風景を見た後の新聞記者

力石徹v.s.パンチョ・レオの公式戦を観戦する矢吹丈

力石徹v.s.パンチョ・レオの公式戦を観戦する矢吹丈

(言葉でなく)拳で語らうこと

「あしたのジョー」に登場するボクサーたちは、試合やスパーリング以外で会話をしたり遊んだりしません。それは、互いの拳で殴りあうことが最大のコミュニケーションだからです。

これをよく表した矢吹丈(ジョー)の言葉が二つあります。それぞれ引用しましょう。

矢吹丈v.s.力石徹の公式戦8回戦後におでん屋に寄る矢吹丈

矢吹丈v.s.力石徹の公式戦8回戦後におでん屋に寄る矢吹丈

矢吹丈v.s.カーロスリベラの公式戦10回戦後にカーロスを見送りに空港に来る矢吹丈

矢吹丈v.s.カーロスリベラの公式戦10回戦後にカーロスを見送りに空港に来る矢吹丈

「百万語のべたついた友情ごっこ」の言葉よりも、一試合の殴りあいのほうが分かりあえる。拳による語らいは、言葉による語らいに勝るというわけです。

劇場版「あしたのジョー」の「美しき狼たち」という曲で、「あいつには言葉はいらないさ」という歌詞があるのですが、これは「あしたのジョー」の価値観をよく表しています。

これも後々に論じますが、この価値観があればこそ、白木葉子・林紀子というヒロインの必要性が出てきます。

なぜボクシングという男同士の世界を描く世界に、葉子・紀子という女が登場する必要があるのか? これは単なるファンサービスではなく、(この価値観のゆえに)彼女らが登場しなくてはならない必然性があるからです。

「あしたのジョー」のボクサー観

二つのボクシング(拳闘)観と二つの人間観……「けんか」「ボクシング」「一般人」「飢えた若者」

次に、「あしたのジョー」のボクサーについて説明しましょう。それを説明するにあたって、「あしたのジョー」には二つのボクシング(拳闘)観と二つの人間観が存在することを知らなくてはなりません。

まず、以下の図をご覧ください。これは、「けんか」「ボクシング」「一般人」「飢えた若者」の四つの軸を元に、「あしたのジョー」の登場人物を分析しようという図です。

「あしたのジョー」に登場するボクサーの分類図(1)

「あしたのジョー」に登場するボクサーの分類図(1)

各項目の説明から始めましょう。

「あしたのジョー」には、「けんか」⇔「ボクシング」という二項対立の図式が存在しています。

矢吹丈v.s.力石徹の少年試合後、練習をする力石徹

矢吹丈v.s.力石徹の少年試合後、練習をする力石徹

矢吹丈v.s.青山の少年院試合後、解説をする白木幹之介

矢吹丈v.s.青山の少年院試合後、解説をする白木幹之介

「けんか」とは技術もルールも何もないただの殴りあいです。一方、「ボクシング」は技術やルールがきちんと存在しており、それを駆使して戦う「キング・オブ・スポーツ」「科学」です。初期の「あしたのジョー」では、「ボクシング」は「けんか」と異なる美しい競技であることが強調されます。

一方で、「あしたのジョー」には「一般人」⇔「飢えた若者」という二項対立も存在します。

自分がセコンドについたボクサーが試合で負けた後の丹下段平

自分がセコンドについたボクサーが試合で負けた後の丹下段平

飢えきった若い野獣でなければ
四角いジャングル……
つまりリングで成功することはできないっ

上のコマは、「タレント」のように見えや恥を気にする自分のボクサーを嘆き、「飢えきった若い野獣」でなければボクシングでは勝てないことを嘆く丹下段平の姿です。こうした「野獣」は、「ハングリー・ボクサー」とも表現されます。

矢吹丈v.s.金竜飛の東洋タイトルマッチ12回戦前、レストランで会話するジョーと金竜飛

矢吹丈v.s.金竜飛の東洋タイトルマッチ12回戦前、レストランで会話するジョーと金竜飛

こうした「ハングリー・ボクサー」とは対極に位置する「一般人」ボクサーのことを、解説者は「サラリーマンボクサー」と呼びます。

矢吹丈v.s.力石徹の公式戦8回戦前の解説者

矢吹丈v.s.力石徹の公式戦8回戦前の解説者

四つのボクサータイプ……「野獣」「精密機械」「サラリーマン」「ハングリー」

上記のことを念頭に置いた上で、下の図をご覧ください。「野獣」「精密機械」「サラリーマン」「ハングリー」の四つを軸をとった図です。この四つの項目が、先ほどの「けんか」「ボクシング」「一般人」「飢えた若者」に対応しています(ちなみに、この図には矢吹丈が入っていませんが、ジョーは複数のタイプを変遷しているので、次回説明します)。

「あしたのジョー」に登場するボクサーの分類図(2)

「あしたのジョー」に登場するボクサーの分類図(2)

まず「サラリーマン」「ハングリー」ですが、これは生い立ち・ボクシングをやる動機・私生活での振る舞いなどから判断されます。力石徹やカーロス・リベラ、金竜飛のような過酷な生い立ちのボクサー、家族や趣味に興味を持たずストイックにボクシングをする者は「ハングリー」です。

一方、西寛一や丹下拳闘クラブ入門生(河野・山崎・荒川)のように意思の弱い者、ホセ・メンドーサのようにボクシングよりも家族を大事にしている者は、「ハングリー」の度合いが下がります。

次に「野獣」「精密機械」。ここでいう「野獣」とは、「ハングリー」という意味ではなく、「けんか」という意味が強いです。例えば、以下のコマの「野獣」などがそうです。

矢吹丈v.s.カーロスリベラの公式戦10回戦後のナレーション

矢吹丈v.s.カーロスリベラの公式戦10回戦後のナレーション

レフェリーを無視しゴングを無視し
ルールのすべてをすべて無視して
ただ ひたすら野獣に返って
噛み合い続ける二人……

矢吹丈v.s.カーロスリベラの公式戦8回戦は、最終的には技術もルールも無視した「けんか」勝負になってしまいました。ボクサーでありながら、こうした「けんか」に近い試合をするのが「野獣」です。

一方、「精密機械」は、あくまで「ボクシング」をするという意識を強く持っています。ですからテクニックに対するこだわりがありますし、反則技など使いません。

「野獣」と「精密機械」の違いは、テクニックや技術に対するこだわりと、反則に対する抵抗感に現れます。こうした考えの下、各ボクサーを見てゆきましょう。

非常に分かりやすいのはハリマオです。彼はマレーシアの部族で狩りをしながら育ったという「ハングリー」さを持ち、試合では反則技を使ったり、危険だと分かると、(ボクシングのテクニックを使わずに)がむしゃらに逃げ回ったりと「野獣」そのものです。

矢吹丈v.s.ハリマオの公式戦12回戦で解説する解説者

矢吹丈v.s.ハリマオの公式戦12回戦で解説する解説者

なるほど……
メンツだの見栄だのというのは
人間だけの感覚であって
野獣にはそんなものはない

金竜飛も分かりやすい。彼は朝鮮戦争で父親を自らの手で殺したという凄まじい過去の持ち主であり、「あしたのジョー」の中でも際立った「ハングリー」さです。また、様々な技術を駆使して試合を行うこと、反則技を一切使わないことなども「精密機械」たるゆえんです。

矢吹丈v.s.金竜飛の東洋タイトルマッチ12回戦前、試合控室のジョー

矢吹丈v.s.金竜飛の東洋タイトルマッチ12回戦前、試合控室のジョー

ホセ・メンドーサは「ハングリー」な境遇こそ持たず、むしろ家族を大事にするボクサーですが、卓越した技術やルール遵守の姿勢は「精密機械」そのものです。

もっとも、ジョーとの試合で反則をしていますが(ジョーとの世界タイトルマッチの13ラウンド)、彼の場合はジョーに恐れをなして発狂したからであって、戦術として反則技を使ってはいません。

矢吹丈v.s.ホセ・メンドーサの世界タイトルマッチ15回戦のジョー

矢吹丈v.s.ホセ・メンドーサの世界タイトルマッチ15回戦のジョー

難しいのはカーロスです。彼は「野獣」型ボクサーですから、平気でエルボーなどの反則技を使います。ただ、ハリマオのような単なる「野獣」型ではなく、ボクシングの技術はきちんと身についていますから、「野獣」に近いものの、完全な「野獣」ではないボクサーです。

ただ、そんな彼も、ジョーとの公式戦8回戦で完全なる「野獣」に目覚めてしまい、(ハリマオのような)なりふり構わぬ防御や反則技を使うようになります。

矢吹丈v.s.カーロスリベラの公式戦10回戦のジョー

矢吹丈v.s.カーロスリベラの公式戦10回戦のジョー

野獣ってのは
見栄だのハッタリだのという
余計な飾り物は必要としねえのさ

同じく難しいのが力石徹ですが、私は、彼は「精密機械」寄りのボクサーだと考えています。

彼は作中ではジョーと並んで「野獣」とよく呼ばれますが、それは「ハングリー」という意味です。彼は(ジョーやカーロスと違って)一切反則技を使いませんし、なりふり構わず防御や逃走もしたことがありません。ラウンド終了のゴングが鳴ったらアッパーを止めるという冷静さも備えています。

矢吹丈v.s.力石徹の公式戦8回戦の解説者

矢吹丈v.s.力石徹の公式戦8回戦の解説者

ここで攻撃を食らわせておけば力石の勝利は決定していました。カーロスならここで確実に食らわせていたでしょうが(アニメ「あしたのジョー2」のカーロスv.s.原島戦では食らわせていました)、力石は止めました。こうした姿勢から、彼が「精密機械」寄り、勝てばいいという「野獣」型でないと考えます。

あと、この場面の後の解説者の台詞が以下のコマなのですが、この台詞の内容が、金竜飛のスパーリングを見ていたときの丹下段平の台詞とそっくりなのです。こうしたことからも、彼は「精密機械」寄りだと思います。

矢吹丈v.s.力石徹の公式戦8回戦の解説者

矢吹丈v.s.力石徹の公式戦8回戦の解説者

金竜飛のスパーリングを観戦していた丹下段平

金竜飛のスパーリングを観戦していた丹下段平

では、主人公である矢吹丈(ジョー)はどうなのか? それは次回に説明しましょう。

今回は、「あしたのジョー」におけるボクシングとボクサーたちについて説明しました。次回は、ボクサーとしてのジョーについて説明します。

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