アニメ版「王の記憶編」について──「遊☆戯☆王」論その四

「遊☆戯☆王」論第四回です。今回はアニメ版「王の記憶編」(いわゆる「記憶編」「古代編」)を取り上げ、原作「王の記憶編」との比較を行います。

※「遊☆戯☆王」論は全八回です。全記事一覧をご覧になりたい方は、タグ「遊☆戯☆王」か、記事「『遊☆戯☆王』論」をご覧ください。

目次

原作とアニメの相違点

原作・アニメ両方をご覧になった方はお分かりでしょうが、アニメ版「王の記憶編」は、原作「王の記憶編」とは設定が大幅に変わっています。

  • 「闇RPG」の舞台が、童実野美術館の隠し部屋から「神の領域」に変更された
  • 原作では砂になって死んだ盗賊王バクラが、アニメでは途中で復活した
  • 原作では最後まで生き残っていたアイシスが、アニメでは途中で死んだ
  • 原作では崖から落ちたアクナディンが、アニメではセトに刺殺された

など、相違点は大量にあるのですが、これを全部挙げるときりがありません。「遊☆戯☆王」の重要な設定に関わる違いだけを挙げましょう。

原作では存在したが、アニメでは削除された設定

アクナディンの魂がゲームに参加している
アクナディンの魂が千年パズルに封印されており、その魂も「闇RPG」に参加しているという設定が原作にはありました。
これはアニメでは削られ、アクナディンは他の神官と同様のPCになりました。なので、遊闘305「闇の支配者!!」のアクナディン(闇の大神官)登場場面などもカットされています。
ハサンはボバサのもう一つの人格である
原作ではハサンがボバサのもう一つの人格という設定がありました(遊闘321「大邪神降臨!!」)。
この設定はなくなり、ボバサはただのNPCになり、ハサンはボバサと無関係の「石盤の精霊」となりました(第211話「新たなるステージ」)。
千年アイテムは「冥界の石盤」から作られた
「冥界の石盤」は「冥界の扉」を開ける道具であり、「千年アイテム」を作った道具でもありました(遊闘309「千年宝物の誕生!!」)。
アニメでは後者の設定が削除され、「冥界の石盤」は「冥界の扉」を開けるだけの道具になりました(第206話「千年アイテム誕生の秘密」)。
千年眼は所持者の願いを一つ叶える
千年眼には、受け入れた者の願いを一つ叶える機能がありました。これを利用して、アクナディンは息子セトを王にしてみよと願いました(遊闘309「千年宝物の誕生!!」)。現代でも、ペガサスがシンディアに会いたいと願い、それを千年眼が叶えました(遊闘132「哀しみの千年眼」)。
この設定自体はアニメでも存在しており、「決闘者の王国編」の第40話「キング・オブ・デュエリスト」で披露されていましたが、「王の記憶編」ではなかったことにされています。削る必要があったのか分かりませんが……。

原作に存在せず、アニメで追加された設定

古代のカーと現代のデュエルモンスターズがリンクしている
原作では、古代の「カー(魔物)」と現代の「モンスター」には密接な関係がありますが、現代の出来事が「闇RPG」に影響を与えるということはありませんでした。
ところが、アニメでは現代のデュエルが「闇RPG」に影響を与えるという現象が起きています。
第200話「動き出した闇のバクラ」でバクラと海馬瀬人がデュエルしたとき、バクラのモンスター「ディアバウンド・カーネル」が「青眼の白竜」を破壊し、その能力を吸収しました。これが影響し、「闇RPG」の盗賊王バクラ(PC)のディアバウンドも、「青眼の白竜」の技を獲得していました。
シャーディーの肉体がバクラにより滅ぼされた
原作の遊闘234「闇VS闇!!」では、バクラがシャーディーの「五年前」について何か知っている様子でしたが、シャーディーが「五年前」にどうなっていたのかは結局明かされませんでした。
アニメではこの設定を受けて、シャーディーの肉体がバクラによって滅ぼされたことになっています(第201話「開かれた記憶の扉」)。
ディアディアンクという装備が追加された
原作だと、アテム(王)や神官は「ウェジュ(石版)」を使うだけで、特に道具は身につけていませんでした。アニメでは、デュエルディスクに似た「ディアディアンク」という道具が追加され、これと「ウェジュ(石版)」を使って「決闘(ディアハ)」を行いました(第202話「盗賊王バクラ見参」)。
しかし、アニメの第132話「受け継ぎし宿命の決闘」第180話「オレイカルコスの三重結界」で描かれた「史実」を見ると、アテムもセトもディアディアンクを装備していないので、矛盾が生じます。
「史実」では三幻神は召喚されなかった
遊闘288「神の名のもとに」で、盗賊王バクラ(PC)のディアバウンドと戦うため、アテム(PC)はオベリスクの巨神兵を召喚しました。しかし、「史実」でもオベリスクを召喚したのかどうかは描かれておらず、真相は不明です。
一方、アニメの第205話「青い瞳のキサラ」では、盗賊王バクラ(PC)が「この究極の闇のゲームは、三千年前の史実と大きく異なる」「呼び出されるはずのない三枚の神のカードが早々と呼び出されやがった」と明言しています。
しかし、第132話「受け継ぎし宿命の決闘」では石化したオベリスクとオシリスが描かれており、「史実」でも三幻神が召喚されたことが確認できるので、矛盾が生じます。それとも、「三幻神は最終的には召喚されたが、ディアバウンドとの戦いでは召喚されなかった」という意味なのでしょうか。
「史実」では大邪神ゾークが召喚された
原作で描かれた「史実」では、大邪神ゾークは全く登場していません。遊闘257「宿命の記憶!!」遊闘305「闇の支配者!!」の「史実」では、アテムやセトやアクナディン(闇の大神官)は登場するのですが、ゾークだけは出てきません。このことから、「史実」ではゾークは召喚されなかったのではないかといわれますが、されたともされなかったとも明言されていない以上、真相は不明です。
アニメ版では、大邪神ゾークが「史実」でも召喚されたことになっています。第211話「新たなるステージ」で、バクラ(プレイヤー)が「あのとき、貴様(アテム)は自らの命を道連れにして復活したゾークを封印した」と明言しているからです。アクナディンの魂を封印した設定を削った代わりに、ゾークを封印したという設定に変更したのでしょう。
海馬瀬人が参加した
原作では「闇RPG」に登場しなかった海馬瀬人ですが、アニメでは「千年眼」を携えて、PCとして参加しています(第212話「闇の大神官」)。
PCが復活できる
原作では、死んだPCは砂になり、そのまま姿を消すことになっていました。
アニメでは盗賊王バクラ(PC)が生き返ったり(第212話「闇の大神官」)、ハサン(PC)が復活したりと(ゾークVS青眼の究極竜)、条件によってはPCが復活できるようになっています。

アニメで設定が変更された点

盗賊王バクラ(PC)の設定
原作では、アテム(PC)には現世のアテムが乗り移っていましたが、盗賊王バクラ(PC)は現世のバクラではありませんでした。
アニメでは、第201話「開かれた記憶の扉」でバクラが「記憶の世界」に飛んだとき、盗賊王バクラに現世のバクラが乗り移りました。このため、アニメでは三千年前の盗賊王バクラ(PC)は登場しません。
セトとキサラの関係
原作だと、セトとキサラは魔物(カー)狩りに街に出かけたときが初対面でした(遊闘296「魔物狩り!!」)。
一方、アニメでは、昔捕らわれたキサラをセトが逃がしてやったというエピソードが追加され(第206話「千年アイテム誕生の秘密」)、セトとキサラに昔から関係があることが示唆されていました。
千年リングの設定
原作だと、三千年前にゾーク・ネクロファデス(闇の大神官)が千年リングに魂の一部を封印したという設定でした(遊闘307「訪れた闇!!」)。
アニメでは、「冥界の石盤」に最初から千年リングが収まっており、それにゾークの魂が封印されている設定になっていました(第206話「千年アイテム誕生の秘密」)。第208話「生きていたファラオ」でも、千年リングの邪念がゾークであることが描かれています。
ハサンの設定
原作の遊闘324「聖墓の決闘!!」によると、ハサンとは、生前のアクナムカノン(PC)が「冥界の石盤」に封印した精霊でした。
アニメでは「王宮の精霊」という設定になり、アクナムカノン(PC)にまつわる設定はなくなりました(第211話「新たなるステージ」
ただし、ハサンはアテムのアイテム扱いになっているので、「史実」でも存在したのかどうか、よく分からない存在になりました。

アニメ版「王の記憶編」の総評

ここまで、原作とアニメ版の違いを述べてきました。次に、アニメ版に関する私見を述べます。

まず、アニメ版には評価すべき点が多々あります。シャーディーやハサンの正体・「史実」での三幻神や大邪神ゾークに言及したこと、セトとキサラの関係やアクナディンの心境の変化について描写を増やしたことなど、原作では不十分であった点を補完したのはよいところです。

あと、序盤から「究極の闇のゲーム」であることが強調され、これが「史実」でないという伏線が張られていたのも評価すべきです。前回少し述べましたが、原作では「闇RPG」の登場が唐突でしたからね。

一方、否定的に考えるべき点もあります。

一つは、バクラの正体がよく分からないものになったこと。原作同様、バクラの正体はゾークということになっていますが(第217話「召喚!三幻神」)、それなら、なぜ現世のバクラが盗賊王(PC)に乗り移ることができたのか分かりません。バクラがゾークの魂でありながら、なぜ盗賊王バクラに酷似しているのかという疑問があるわけですが、それがアニメでは説明できません。

もう一つは、海馬瀬人を「闇RPG」に参加させたこと。「王の記憶編」にセトが登場することから、海馬も出したほうがよいと考えたのでしょうが、セト・キサラと海馬の関わりはほとんどなく、海馬は傍観していただけです。彼のやったことといえば、「青眼の究極竜」や「究極竜騎士」を召喚したこと、「防御輪」を発動したことぐらいで、三千年前の記憶を思い出したわけでもなく、果たして参加する意味があったのか疑わしい。

あと、「青眼の究極竜」や「究極竜騎士」がゾークに敗れ、「融合」が「闇の力」に敗れるというあるまじきことが起こりましたが、詳しくは後述します。

あと、これは私の好みの問題ですが、アクナディン(闇の大神官)が原作に比べて小物(というか、どうでもいいPC)と化していたのは残念です。この後のゾーク戦が長かっただけに、完全にゾークの前座にされた感があります。

今回はアニメ版「王の記憶編」について書きました。次回は、前回と今回の内容を元に、三千年前の「史実」について書きます。

補足1: アテム(PC)の設定変更について

さほど重要な設定でもないので触れなかったのですが、実はアニメ版ではアテム(PC)の設定が少し変更されています。

第203話「マハードの決意」で、アテムとマハード・マナが幼馴染であったことが描かれます。この設定は別にどうでもよいのですが、その後で、誰もが平等に暮らせる社会をアテムが作ろうとしていたことが描かれています。原作にはこんな設定は全くないのですが。

なぜこんな設定を追加したのかというと、恐らく、「ドーマ編」の影響があったからでしょう。

第157話「ドーマの真実」でラフェールが「果たしてお前(アテム)は本当に善き王だったといいきれるのか?」といっていたように、三千年前のアテムの善悪は、「ドーマ編」のテーマの一つでした。「なぜ三千年の時を超えて、名も無き王が生まれ変わったのか? 悪しき王であったならば、生まれ変わる必要などあったのか?」と、アテムの存在理由が問題になっていたのです。

「ドーマ編」ではアテムの弱さ・醜さを徹底的に描いたものの、最終的に彼は「この星の闇」を受け入れ、新たな王として生まれ変わりました。つまり、アテムは「善き王」として生まれ変わったわけです。

話を「王の記憶編」に戻します。彼は現代では「善き王」となったわけですから、「闇RPG」のアテム(PC)が「悪しき王」だと、「ドーマ編」と辻褄があわないのです。三千年前の「史実」ではどうであったか分かりませんが、少なくとも「闇RPG」の上では、アテムが「善き王」として振舞わないとまずい。

しかし、原作では、アテムが「善き王」といえる描写はほとんどありません。むしろ、「セトは我が軍の仲間だ」といいながらセトを盾にしたりと(遊闘322「幻のNPC!!」)、「悪しき王」と思われる描写が多い。そこで、彼が「善き王」であったことを強調するため、アニメ版では平等思想を追加したのだと思われます。

私見では、そもそも古代エジプトの「善き王」と現代の「善き王」では基準も常識も違いますし、古代エジプトに「平等」なんて近代思想があったとは思えないのですが、「遊☆戯☆王」の世界では「絆」や「結束」が重視されますから、アテムが平等思想を持っていてもおかしくはないのかもしれません。

補足2: 「究極竜騎士(マスター・オブ・ドラゴン・ナイト)」について

アニメの第218話「ゾークvs青眼の究極竜」で、「カオス・ソルジャー」と「青眼の究極竜」を「千年秤」で融合させ、「究極竜騎士(マスター・オブ・ドラゴン・ナイト)」を召喚してゾークに挑むというアニメオリジナルのエピソードがありました。「究極竜騎士」はあっけなくゾークに敗れました。

「ドーマ編」の第178話「アトランティスの悲劇」でもそうでしたが、アニメでは敵の強さを強調するため、「究極竜騎士」を召喚した後あっさり破壊されるというエピソードがあります。218話でもゾークの強さを強調するためにやったのでしょうが、このエピソードは非常によくないものだと思います。

「遊☆戯☆王」の世界では、「融合」とは単なる二体以上のモンスター(あるいはカー)の合体ではありません。原作の遊闘317「神官団VS精霊超獣!!」でアテム(PC)がいっていたように、「融合」とは「結束の力」の象徴なのです。

「遊☆戯☆王」において、「結束の力」とは何にも勝る「強さ」ですから、それを破るためには、こちらも「結束の力」で対抗するか、相手の「結束の力」を破壊するしかありません。力押しでは、「結束の力」に勝てないのです。

何がいいたいかというと、「究極竜騎士」がゾークにあっさりと負けたのは、「結束の力」が「闇の力」に敗北したことを意味するわけで、「遊☆戯☆王」の根幹を壊すようなエピソードなのです。「結束の力」ならばどんな強大な力にも負けないのが「遊☆戯☆王」なのに、ゾークの強大な力に結局負けてしまったのですから。

このエピソードの後、アテム(PC)が三幻神を束ねて「光の創造神ホルアクティ」を召喚し、ゾークを倒します。これは、アテムと武藤遊戯たちの「結束」であると同時に、三幻神の「融合」という「結束」でもあります。

しかし、「究極竜騎士」で「融合」が敗北してしまった以上、「ホルアクティ」という「融合モンスター」がゾークに勝利するというのは説得力に欠けてしまいます。「ホルアクティ」が勝ててなぜ「究極竜騎士」は負けたのか、「王の名前があるから」ですべて解決するのか、という疑問を生んでしまうからです。

「究極竜騎士」のエピソードについては、そもそも引き伸ばし感があるので好きでないのもありますが、こうした設定崩壊の面が強いことから、私はとても否定的です。このエピソードを入れたいがために海馬瀬人を「闇RPG」に参加させたとすれば、いっそ参加させないほうがよかったと思います。

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