ボイストレーニングはなぜ必要か──ボイストレーニング論その一

前回予告したボイストレーニング論その一です。

今回はまず、ボイストレーニング自体について考えてみましょう。ボイストレーニングはそもそも必要なのか、ボイストレーニングではどういったものを取り上げるのかといった説明を致します。

※ボイストレーニング論は全十五回です。「裏声を練習すればミドルボイスが身につく?」「ミドルボイスって地声? 裏声?」「ミドルボイスの音源が聞きたい」そんな方はぜひお読みください(全記事一覧は、カテゴリ「ボイストレーニング」か、記事「ボイストレーニング論」参照)。

ボイストレーニング論その一の要旨

  • ボイストレーニングは声を出す場面、特に歌を歌う場面において重要である。歌を歌うことは、日常生活では養われない技術を要求されるからである。
  • 「歌声」は、「話し声」の延長にあるものである。両者は全くの別物ではないが、全く同じものともいいきれない。
  • 歌には様々なジャンルや文化があるが、基本的な発声の原理や声帯の動きにおいては共通している。
  • 歌に必要な技術は数多いが、中でも重要なのは、高音(ハイトーン)発声とヴィブラートである。
  • ボイストレーニングは、各人の個性を潰してしまう恐れもあるが、危険な発声から声帯を守るといったメリットも存在する。

目次

ボイストレーニングの必要性

そもそも、ボイストレーニングとは必要なのでしょうか。

具体的なボイストレーニング論の前に、この疑問から考えましょう。

我々が普通に日常生活を送る分には、ボイストレーニングはほとんど要りません。日常会話では、音程を正確に歌ったり、抑揚をつけたり、ビブラートをかけることなど稀ですし、滑舌が多少悪くても、相手が察してくれたり、聞き直してくれるからです。大声を張り上げたり、マイクを持つことも少ないでしょう。

つまり、ボイストレーニングが必要となるのは、日常生活を離れた特殊な場合なのです。

  • ビジネスで伝わりやすいプレゼンをしたい
  • 選挙で明朗闊達なスピーチをしたい
  • 舞台で滑舌よく台詞を発声したい
  • 上手な歌を歌いたい

滑舌が悪いと聞き取ってもらえない場合、声の調子が印象を決める場合、大きな声量が必要な場合などなど、ふだんの生活では使わない声の要素を求められるとき、ボイストレーニングが必要となるのですね。

中でも、「歌」のボイストレーニングは非常に特殊です。政治家やビジネスマンであれば、自分の丁度よい音程の声で喋ればよいのですが、歌手は、自分にとっては高い(または低い)音程まで正確に出せることが必要です。また、ビブラート・息遣い・リズム・シャウトなど、非常にテクニカルな技術を要します。

こうした事情がありますから、歌に関するボイストレーニングの研究は非常に進歩しています。もちろん、ビジネスマンや舞台俳優向けのものも進歩しているのでしょうが、最も目覚ましい進歩を続けているのは、やはり歌の分野でしょう。

ですから、本記事では、歌に関するボイストレーニングに話題を絞ろうと思います。これは、歌以外の分野を無視しているわけではなく、最も進歩している歌のボイストレーニングを知れば、他の分野にも応用ができるという考えからです。

歌のボイストレーニングを知れば、政治家やビジネスマンの方は、どのように発声すれば最も声が通りやすいか、スピーチにあたっての声帯のコンディションの整え方などを知ることができるでしょう。舞台俳優の方は、大きな声量の出し方、滑舌のよい台詞の読み方などを知ることができます。あるいは、日常生活で、話を聞きとってもらいやすくする話し方も身につくかもしれません。

というわけで、本記事では「ボイストレーニング」という場合、歌のボイストレーニングを指します(ここでいう「歌」とは、歌手・アイドル・ミュージカル俳優などが歌うすべてを指しており、特定のものではありません)。

「歌声」と「話し声」

歌は、ふだんの生活では使わない技術が必要だと述べました。では、ふだんの声と歌声は全くの別物なのでしょうか。

もちろん、そうではありません。一人の人間が一つの声帯しか持たない以上、日常生活で話すときも歌うときも、使う声帯と筋肉は同じなのですから。

ただ、ふだんの声と歌声が100%同じであるわけでもない。これもまた事実です。

例えば、エリック・アルセノー(Eric Arceneaux、通称「エリック兄さん」)という有名なボイストレーナーがいるのですが、彼は【ボイトレ】ビブラート編その1(out of 2)にて、歌とは「お喋りの延長線上」(4:33)だと述べています(注1)。

追記: このようなネット上で見られるボイストレーニング映像は多いのですが、これについては第十二回で取り上げました。

声を作ったりせず、ありのままの声で歌えというエリックの主張は分かるのですが、少し語弊のあるいい方です。まるっきりありのままの、ふだんの声で歌ってよいわけではありません。

オペラや声楽では、ふだんの「地声」で歌うことを批判し、歌唱専用の「胸声」「頭声」で歌うことを求められます。それは、歌唱とは日常会話と違うテクニカルな作業だからです。

追記: 「胸声」や「頭声」については第六回で説明しました。

このような議論を受けて、本記事では、ふだんの話し声と歌声を(全くの別物とはいいませんが)あくまで区別しようと思います。今後、ボイストレーニング論において扱うのは、「歌声」のほうです。

「歌声」の種類について

しかし、一言に「歌声」といっても、歌には様々なジャンルがありますから、それに応じて様々な歌声があります。そして、ジャンルごとに「よい声」とされるものが存在し、あるジャンルでは理想的な声が、別のジャンルでは悪いとされることもしばしばです。

では、理想的な歌声などジャンルによって違うのだから、一括りにして論じるのは無意味なのでしょうか。

私は、そうではないと思います。確かに、ジャンルごとに使われる歌声や、理想とされる声は違います。しかし、どんな歌声であっても、人間の声帯や身体を使って発声されることは共通しているのであり、声帯や筋肉の動きに大きな違いがあるはずはないのです。

例えば、オペラなどのクラシック歌曲には、「アクート」と呼ばれる発声があります。また、ポップスには「ミドルボイス」「ヘッドボイス」という発声があります。この三つはよく比較されます。

後に詳しく論じますが、この三つは、基本的には同じものです。オペラとポップスでは身体の使い方や歌い方が異なるのはもちろんですが、それは表現の仕方が異なるだけであって、声帯を巧みに伸展させたり、共鳴を活かして声帯を上手く振動させるといったレベルでは、ほとんど違いがないのです。

今までのボイストレーニングでは、「ベルカント唱法はミドルボイスとは違い……」などのように、ただ「違う」ことを強調するだけで、何が「違う」のか、同じ部分は存在しないのか、ということがあまり考察されていなかったように思います。このボイストレーニング論では、様々なジャンルの歌声を俎上に上げ、それらの相違点と共通点を明確にする予定です。

追記: 「ベル・カント唱法」については第六回で書きました。

歌に必要な技術

歌に必要な技術とは何でしょうか。

ここで枚挙しきれるものではありませんが、恐らく最も重要なものは、以下の二つです。

  1. 高音(ハイトーン)
  2. ヴィブラート

誤解を防ぐために補足しますが、低音やヴィブラート以外のものがどうでもいいということではありません。歌詞発音の滑舌や息遣い、体力も重要でしょう。また、低音から高音までむらなく歌える技術も重要であり、高音やビブラートだけ鍛えればよいというものではない。それは重々承知しています。

しかし、それでもなお、この二つは際立って重要だといえます。

第一の理由は、高音とビブラートは、日常生活で使うことがほぼ皆無なので、練習せずに上手にできる人はいないこと。体力作りや息遣い・滑舌に比べると、日常生活で鍛える方法が少ないため、特に重点を置くべき技術です。

第二の理由は、高音(ハイトーン)とヴィブラートが現在の歌唱では特に重視されていること。

もちろん、低音を活かした楽曲もありますが、現在の楽曲では、サビにA4(hiA)やC5(hiC)などの高音を使う曲が多い。ものによっては序盤から高音を連発する楽曲もあり、高音を使わずに低音だけで歌える曲は稀です。

また、ノンヴィブラートの歌声を聞かせる人もいるのですが、やはりヴィブラートを駆使して歌う歌手のほうが多い。クラシックやポップスに限らず、演歌でもコブシ、能楽などでもナビキという技法が使われ、音程を変化させてドラマチックに歌う技法はあまねく存在します。使うか使わないかは別として、ヴィブラートが使えたほうが表現の幅が広がることは間違いありません。

上記の理由から、ボイストレーニングでは、高音とヴィブラートの鍛え方の研究が最も進んでいます。というか、この二つを除くと、ほとんど残らないのではないかと思われます。それほど重要な技術です。

このような潮流に従い、私のボイストレーニング論でも、高音とヴィブラートを中心にお話し致します。

追記: 高音については第三回第四回第五回で、ビブラートについては第八回第九回で書きました。

今回は、ボイストレーニング論の前の総論的な話でした。次回から具体的な理論に……といいたいのですが、もう少し、総論的なお話をしなくてはなりません。

次回は、なぜボイストレーニング理論は混乱しているのかについて説明します。

補足: ボイストレーニングは個性を潰してしまうか

ボイストレーニングを受けて画一的な歌い方を学ぶと個性が潰れてしまう、という人がいます。ボイストレーニングを受けていないという歌手も多いことから、ボイストレーニングに批判的な方も多いようです。

私の考えでは、これは正しい部分もあれば間違っている部分もあります。

確かに、ボイストレーニングをすると画一的な歌い方になる可能性はあります。HR/HMなどで使われるハイラリンクス・シャウト・ディストーションなどは、喉を傷めるという理由でボイストレーニングでは忌避されるので、皆が皆「張り上げない、力まない」歌声になりがちです。

ボイストレーナーの教え方にもよりますが、ボイストレーニングでは声の響かせ方や身体の使い方まで教えられることがあります。その教え方があう人はよいでしょうが、あわない人にとっては個性を潰すことになりかねません。

また、そもそもボイストレーナーの教え方が間違っている恐れもあります。詳しくは第十一回第十二回第十三回を読んでいただきたいのですが、本やサイト・動画でデマや嘘を教えているボイストレーナーは大量にいます。

最近の話題を出しましょう。元AKB48の前田敦子もボイストレーニングを受けているそうですが、ボイストレーナーに「あなたの声帯は一生うまくならない」といわれたそうです(前田敦子 歌レッスンで「一生うまくならない声帯」と言われた)。

私はAKB48も前田敦子も好きではないのですが、これはさすがにボイストレーナーがおかしい。声は声帯だけで出すものではなく、喉の筋肉や共鳴、息の量すべてを駆使して出すものです。声帯だけをあげつらって「一生うまくならない」というのは、このボイストレーナーがいかに無知であるかを物語っています。こんなボイストレーナーに教わっても100%上達しないでしょうね。

以上のような理由から、ボイストレーニングには個性を潰してしまう側面もあることは認めます。が、私はボイストレーニングにはメリットもあると考えています。

第一に、ボイストレーニングは適切な練習方法の獲得によって才能を守るメリットがあります。

昔の歌手では、練習方法なんか一切気にせずに叫んで歌いまくる人がいました。二日酔いでライブに出て喉を潰したり、風邪で歌って喉を壊した人もいたものです。もちろん、そういった型破りな行動の中から素晴らしい歌手が生まれてきたこともあるわけですが、せっかくの才能を若くして潰すのはもったいないようにも思われます。

「27クラブ」の仲間入りをしたい人でもない限り、むちゃな歌い方をして早々に死んで伝説になる、という生き方は望まないでしょう。多くの方は、長らく声を健康に保って、いつまでも歌い続けたいと思っていらっしゃるはず。そんな人にとって、ボイストレーニングは大切な武器になります。喉に悪い練習方法を排除することによって、いつまでも歌い続けられる才能を保護してくれるからです。

第二に、昨今の楽曲は大変高度な技術を要求するため、ボイストレーニングなしでは歌うことが難しい。特にHR/HMなどは昔ではありえないほどの超高音や声量を要求されることがあり、どれだけ才能を持った歌手でもボイストレーニングなしで歌うのは不可能です。ボイストレーニングしないと歌えないのですから、「個性を潰す」以前に、「個性を活かす」ことすらできないわけです。

ボイストレーニングは個性を潰す側面もあると述べました。確かにそうですが、私はむしろボイストレーニングによって開花する個性もあると思っています。声帯の使い方で下手で高音が出ない歌手がいたとして、彼がボイストレーニングをして高音を身につければ、今まで以上に素晴らしい個性を発揮して歌うことができるかもしれない。上手な身体の使い方を身につけた歌手は、今まで以上に楽しく歌えるかもしれない。ボイストレーニングによって開花する個性があるのであれば、トレーニングをしない手はないでしょう。

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