消える文化、残る文化

去年の11月18日に、こんなツイートをしたことがあります。

このツイートに絡めて、同日「「嫌なら見るな」という人には「嫌なら公開するな」というべき」という記事を書きました。

そして、去年の年末にはこんなツイートをしました。


今日の記事は、上記のツイートや記事の続編ともいうべきものです。

消えて行ったポケモンサイトたち

何が消え、何が残るのか?

語り部の憩いを設立して、当ブログを始めてから、この疑問はずっとつきまとっていました。

私が昔通っていたサイトはポケモンサイトが多いので、ポケモンサイトを例に挙げましょう。みゅうはぁとPOKeDEX 250といったサイトは、かつては知らぬ者はいないほど栄えたサイトですが、今ではほとんどの人が忘れておられるに違いない。辛うじてみゅうはぁとオフPOKeDEXファン東京オフに名を残すぐらいです。

みゅうはぁとやPOKeDEX250では昔すぎるというなら、もっと卑近な例を挙げましょう。

犬速VIP@わんわんおwww
2012年9月15日に活動停止されました。
クリームソーダ飲みたい速報
2013年3月2日以来更新停止されています。
ぽけみん – Pokemin
2013年1月27日以来更新停止されています(Twitterにて管理人の近況が確認できます)。

これらはポケモン専用の大手まとめブログでしたが、いずれも1~2年前に更新停止されたものです。ポケモンに詳しい方なら、ご存じの方も多いはずです。

これらのブログを、今でもよく覚えており、未だによく通うという方はどれだけいらっしゃいますか? 「ああ、そんなブログもあったよなあ」「今思い出した」という人が多いのではありませんか?

かつて隆盛を極めたものでさえ、数年も経てば忘れられてしまうのが現状です。わずか数年で忘れられたものが、10年・20年という年月を経たとき、果たして人々の記憶に残っているでしょうか?

消えて行った文化たち

ポケモンに関心が薄い人たちにおかれましては、以上の話は馴染みがないかもしれません。そこで、別の例を挙げましょう。

例えば、能楽や歌舞伎・文楽・純邦楽・落語というのは、日本の伝統芸能であり、日本が世界に誇るべき文化といえるでしょう。

では、これらの文化を実際に鑑賞・体験したことのある方はどれだけいらっしゃいますか? 学校で「伝統芸能」とだけ習ったものの、実際には詳しいことを全く知らないという方が多いでしょう。

もちろん、能楽や歌舞伎や文楽をすべて知らないのがおかしいというわけではありません。私とて、知らないものがたくさんあります。

しかし、大河ドラマを放送したり、戦国時代のゲームをプレイしたりと、自国の歴史を学ぶのに余念がないのが日本人です。その日本人が、自国の伝統文化についてはほとんど何も知らない。不思議なことだと思いませんか? これは、日本人の不勉強が原因なのではなく、日本の伝統文化が消滅しつつあるという重大な問題なのです。

はっきりいえば、日本の伝統芸能は消えつつあります。辛うじて社会に膾炙しているのは落語や歌舞伎ぐらいのもので、能楽や文楽、義太夫あたりは、細々と文化の継承は続いているものの、文化としては死に体といって過言ではないでしょう。

先日も宮城道雄「春の海」を聞くという記事を書きました。「春の海」作曲年度は1929年末ですから、わずか85年前です。作曲から100年も経過しておらず、しかも毎年の正月にBGMとして流れる曲ですら聞かれていないというのは、純邦楽がいかに文化として荒廃しているかを示しています。

そして、これは日本に限った話ではないでしょう。世界各国に目を向ければ、時期に消えつつある昔の文化を見つけることができるはずです。

文化の消滅という問題は、ポケモンサイト一つに限ったことではありません。日本、あるいは世界全体の文化の問題といえるのです。

消える文化、残る文化

これらの消え行く文化をどう復興するのか? それは私が提案できるような軽い問題ではありませんので、ここでは取り上げません。

それよりも、どういった文化は残り、どういった文化は消えるかという問題について考えてみたい。

11月18日のツイートや記事にも書きましたが、あらゆる創作活動は消滅する恐れを免れないと思います。コンテンツ産業はインフラではありませんから、消滅したところで、我々の生活がただちに支障を来すということはない。消滅の危機に瀕している頃には危機感が薄く、危機感を抱き始めた頃には、既に文化として死んでいることでしょう。

絵空事のような話をしているように思われるかもしれませんが、「赤・緑」以来発展を続けている「ポケットモンスター」にしても、消滅しないという保証はまるでない。皆様が当たり前のように鑑賞しているアニメや漫画も、消滅の恐れを免れません。10年・20年、あるいは100年・1000年が経過したとき、確実に残っているといいきれるものなど、ほとんどありません。

ただ、それではインフラなら残るのかというと、そうでもない。歴史上には様々な社会が存在しており、その中には様々なインフラや制度が存在したでしょうが、今では滅びており、歴史書の中にしか残っていないものも少なくない。インフラというのは社会の中で存在するものですから、社会そのものが変わってしまえば、消滅を免れないのです。

私見では、100年後・1000年後も確実に残っているといえるものは、以下の三つだけです。

言語
滅ぼされた原住民の言語など、消えて行った言語も存在しますが、言語という文化が消滅することは、人類の知能が退化しない限りはありえません。言語は会話であり、文章であり、思考であり、文学であり……と、あらゆるところに存在するからです。
自然
海・山・森、あるいは水や炎・雷などの自然です。
当然のように思われるかもしれませんが、自然はとても重要です。我々人類は自然なしでは生きてゆけませんし、自然からインスピレーションを得て作られた文化も数多いので、自然は文化の源泉といえるからです。環境破壊によって自然が滅びていない限りは、自然は永遠に残り続けるでしょう。
伝統宗教
言語同様、消えたものも多いのですが、一部の伝統宗教については残り続けるはずです。特に、キリスト教などの一神教や、ヒンドゥー教などの社会制度と密着した伝統宗教は、暦・食事習慣・儀礼・言語・芸術に至るまで広範な影響を及ぼしているため、その社会が存続する限りは永遠に残り続けるといえるでしょう。

この三つに共通するのは、人間にとってなくてはならないインフラであると同時に、文化を生み出してきたコンテンツでもあるということです。インフラとコンテンツを一手に担うものたちであり、社会・文化そのものといっても過言ではない。ですから、消滅する恐れがないのです。

逆にいえば、世の中のほとんどのものは、インフラかコンテンツかのどちらかでしかないのですから、常に消滅の恐れに曝されている。必要がなくなれば、あっさりと忘れ去られるのが運命です。だからこそ、「集客や拡大再生産をしないと確実に消えてゆく」のです。

インフラ産業にせよコンテンツ産業にせよ、何らかの文化活動に携わる人たちには、この恐るべき現実を噛み締めていただきたいと思います。噛み締めた上で、自分たちの文化が消滅する運命を甘んじて受け入れるのか、それに抗うのかは皆様次第です。

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