ぱにょ=星見蒼人氏の謝罪にあたって考えたこと

ぱにょ=星見蒼人氏の謝罪

ニコニコ動画で「歌い手」として活躍されていた「星見蒼人」(「ぱにょ」)氏が、今日久々にツイートをされました。

背景事情を簡単に書くと、今年の4月18日に淫行で逮捕された星見蒼人氏が、事件に関する謝罪と釈明を、今日ご自身のTwitterアカウントで行ったのです。

この謝罪行為について、「その程度で許されると思うのか」「もう社会復帰していたのか」など、色々と反響を呼んでいるようです。

彼がしたことは犯罪行為であり、服役を終えただけで許されたわけではないでしょう。彼に対する暴言が飛びかうのはやむをえませんし、ご本人もそれは承知しているはずです。私は星見蒼人氏のファンでもアンチでもないので、「まあがんばってください」と思うだけで、それ以上の感想は特にありません。

「あなた」は「正義」といえるか

星見蒼人氏の謝罪以上に気になったのが、今回の謝罪ツイートへの反響のほうです。

これは「ぱにょ=星見蒼人」子のツイートの一つですが、色々とリプライがついています(興味がある方はツイートにアクセスすれば閲覧できます)。他にも、@hosimiaotoで検索すると、色々な反響のツイートを読むことができます。ほとんどは罵詈雑言や皮肉です。

繰り返しますが、彼は犯罪を犯した人であるわけですから、服役後も、こういう辛辣な視線を浴びるのは仕方がありません。しかし、それを加味しても、こういう「叩き」行為はやはり快いものではない。

星見蒼人氏に対する叩きについて、こんな批判がありました。


こうした意見はとても分かるのですが、私の意見はこれとは少し違います。私は、「服役を終えた人を必要以上に叩くのは問題ではないか」といった人道的(?)な理由から反対しているわけではありません。私も人を必要以上に叩いてしまうことがあるので、あまり偉そうなことをいえないからです。あと、前述の通り、犯罪者が必要以上に叩かれるのは仕方がないという思いもある。

私が気に入らないのは、叩いている人たちに、自分の行為に対する「鈍感」さを感じるからです。いいかえれば、自分の行為の「臭み」に敏感になった上で、叩き行為をしてほしい(無理に叩かなくても構わないのですが)。

人によるとは思いますが、星見蒼人氏を叩く人たちには、こんな思考回路が働いているように思える。

  1. 星見蒼人氏は犯罪者であり、悪である。
  2. 悪を叩くのが正義である。
  3. 星見蒼人氏(悪)を叩く自分は正しい。

「悪を潰したい」「叩くとメシウマ」「星見蒼人アンチ」etc,色々理由はあるでしょうが、基本的には上記の三段論法と同じ構造をとっています。要は、「相手が悪だから、それを叩くことは正しい」という理屈です。

しかし、ここには重大な錯誤があります。星見蒼人氏がどれだけの悪だからといって、それを叩いている「あなた」が正義であるわけではない、ということです。「正義」「悪」の二元論で考えると、悪に対抗する存在が「正義」に思えますが、そんなわけがない。叩く側が「悪」とまではいいませんが、叩かれる側よりも「正義」に近いのかというと、そんなことは全くありません。同じ穴の貉です。

そんなことは分かりきっているという人へ(実は、私もそう思っている一人ですが)。「あなた」が問題について部外者であるときは、そういう冷静な判断が下せるかもしれません。しかし、あなたが誰かを「悪」と見定め、批判するとき、「自分は正しい」という思いが少しでもないといいきれるでしょうか? 「正義」とまでは思わないかもしれませんが、「こいつに比べれば、自分はまだましだ(自分はまだ「正義」に近い)」という驕りが皆無だといいきれるでしょうか?

「正義」と「復讐」

「正義」を盾にする人間たちの胡散臭さについて、ニーチェは『ツァラトゥストラ』の「有徳者たち」にてこう書いています。

ああ、この人たちの口から「徳」ということばが出ると、何と不快なひびきをたてることだろう! かれらが「わたしは正しい(ゲレヒト)」と言うと、それはいつも「わたしは復讐した(ゲレヒト)」としか聞こえない!

この文章は、日本語だけでもなかなか含蓄がありますが、ドイツ語が理解できていると、よりニーチェの意図が分かりやすい。少し説明しましょう。

「正しい」「復讐」の箇所に、「ゲレヒト」というルビが振られていることにお気づきでしょうか(環境によっては、ルビでなく括弧つきになっているかもしれませんが)。これはどういう意味なのか。

「わたしは正しい」という文章は、原文では「ich bin gerecht」です。「gerecht」は「正しい」という意味の形容詞であり、カタカナで発音を表せば、「ゲレヒト」です。

一方、「わたしは復讐した」の原文は「ich bin gerächt」です。「gerächt」は「rächen」という動詞の過去分詞形で、「復讐した」に該当します。カタカナで発音を表せば、これも「ゲレヒト」です。

「正しい」という言葉も「復讐した」という言葉も、ともに「ゲレヒト」です。これはどういうことか。

簡単にいえば、「正義」を盾に他人を攻撃する人間は、「復讐」心に基づいて攻撃を行うといっているのです。「正義」を掲げる人は、正義の実現を目指す「正義の味方」であるように見えて、実は「復讐」心を満たしたい人なのです。

「あなた」が誰かを叩くとき、「彼を叩くことが社会正義だ」などという。確かにそうかもしれません。しかし、「あなた」が彼を叩くのは、「正義を実現しなくてはならない」という使命感などではさらさらなく、「彼を叩きたい」「彼に復讐したい」「彼を不幸にしたい」という「復讐」の心なのです。

ここで、ようやく星見蒼人氏の問題に戻ります。私は、叩いている人たちに、自分の行為の「臭み」に敏感になってほしいと書きました。それは、叩き行為をやめろということではなく(繰り返しますが、私はそんなことをいえる資格のある道徳的な人間ではないので)、叩くときに、自分が「正義」だと思ってはいないか、自分が「復讐」心に囚われて叩いてはいないかと自問自動してほしいということです。

「星見蒼人氏は悪かもしれないが、それを叩く自分もまた、悪かもしれない。星見蒼人氏は犯罪者であり、自分は犯罪者ではない。しかし、だからといって自分が星見蒼人氏より少しも偉いわけではない」と自問し、自分が「正しくない」ことを自覚しながら、叩くなり批判するなりをしてほしいと考えます。

なお、こうした記事を書いている私自身も、「星見蒼人氏を助けなければ!」「こんな不当な叩きがまかり通ってはならない!」などという「正義」に則っているわけでは全くなく、叩いている人たちが気に入らないという「復讐」心に基づいています。

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