あなたは仕事が生きがいですか?

今日、とあるビジネスセミナーに参加してきました。去年も参加したのですが、相変わらず、登壇者や周りの参加者と自分の温度差を感じ、(去年は最後まで参加したのですが)今日は途中退席してしまいました。

この違和感を自分なりに分析したところ、私が仕事に生きがいを見出していないからだと気がつきました。

そこで、今回は仕事と生きがいについて書いてみます。

人は仕事がしたいのか

そもそも、人はなぜ人生に「意味」や「価値」を求めるのか。

これについては、2013年9月11日9月12日の記事にて、私なりの回答を書きました。詳しく知りたい方はそちらをご覧ください。

そこで、今回は、人生に「意味」や「価値」を求めることを前提に考えてみます。その上で、なぜ人は仕事に生きがいを求めるのか。なぜ趣味ではいけないのか。

「当たり前ではないか。仕事は楽しくないんだから」と思われるかもしれませんが、それは早合点がすぎます。

例えば、こういう例を考えてみましょう。pixivには絵を描いている方がたくさんいらっしゃいます。この人たちの中で、どこかから仕事の依頼が来た、という方は少なくないでしょう。その中で、「自分は仕事など一切引き受けない。描きたいものだけを描き続ける」という人はどれほどいらっしゃいますか? あるいは、仕事を引き受けないにしても、「仕事の依頼が来て悪い気はしない」という方は多いのでは?

別の例を考えましょう。小説家になろうという小説投稿サイトがありますが、投稿者の中で、出版社の依頼を受けて、書籍の形式で自分の小説を出版したことがある人もいらっしゃる。仮の話ですが、もし「あなたの小説をうちから出版したい」という依頼が来たら、どんな気分でしょうか? あるいは、「あなたの筆力を評価して記事の執筆依頼をしたいのです」という依頼が来たら?

私が何をいいたいのか。人間は、仕事をしたくないのではなく、好きでもない仕事をしたくないのだということです。自分の趣味が仕事となりえ、それで金銭を稼ぐことができることを知ったとき、人間は喜びや楽しみを感じるはずです。もし本当に仕事をしたくないなら、前述の仕事依頼など引き受けるはずがない。

なお、「いや、私は仕事など絶対に引き受けない。趣味の範囲が最高なのだ」という人がいらっしゃるとすれば、その理由は以下の二つではないでしょうか。

自分のやりたいことや意志を貫きたい人
仕事だと、顧客の依頼によって、自分の意志を曲げざるをえないこともあります。それを避けるため、仕事という形をとらないのはありうる話です。
そもそも他人が好きではない、関心がない人
他人が好きでないので、仕事などの形で他人と関わりたくないという人。あるいは、他人に読んでもらうことや見てもらうことを想定していないので、別に仕事にならなくても構わないという人。

なぜ人は仕事に生きがいを求めるのか

仕事をしたくないのではなく、好きでもない仕事をしたくない。いいかえると、好きなことを仕事にしたいということです。これはなぜでしょうか?

私見では、理由は大きく二つあります。

第一に、生活において仕事が多くの時間を占めるということ。フリーランスやノマドワーカーは不定期労働が多いでしょうが、会社勤めのサラリーマンでいうと、始業時間を午前十時、終業時間を午後七時(昼休みは一時間)と考えても、最低八時間は仕事に拘束されます。しかも、定時できっちり仕事が終わることは稀ですから、残業時間を仕事に奪われることになる。さらに、家での労働(翌日の仕事の準備とか)に、料理・洗濯・風呂などの家事の時間、睡眠時間を削ると、残された時間はほとんどありません。

サラリーマンをしながら趣味に勤しむことの難しさは、時間がほとんどないことにあります。「仕事をしつつ、趣味で好きなことに没頭すればいいじゃないか」といわれても、「没頭」できるほどの時間がないのです。

しかし、ここで逆に考えれば、自分の好きなことを仕事にできれば、勤務時間中は自分の好きなことに没頭できる。ならば、趣味で好きなことをするより、趣味を仕事にしたほうが効率的ではないか──好きなことを仕事にしたいという考えには、こういう発想があります。もっとも、仕事のために自分の意志を曲げる必要性も出てくるので、一方では「好きなことを仕事にすると苦痛になる」といわれたりもするのですが……。

仕事と趣味の違い

第二の理由です。第一の理由よりも、こちらの理由のほうが大きいのではないかと思われる。簡単にいえば、より多くの他者に、より強く必要とされるということ。

趣味と仕事の違いは色々でしょうが、根本的な違いは、金銭的対価が発生するか否かだと思います(最近だと趣味で金を稼ぐ人もいますが、それは趣味というより「副業」です)。そして、この違いは、単に生計の手段になりうるか否かということでなく、自分が市場・世間・世界においてどの程度の価値をつけられているのか、どの程度必要とされているのかというメルクマールになるのです。

先のpixivや「小説家になろう」でいうと、自分の絵に金銭的対価がつくことは、それだけ自分の絵が市場価値を持つということ。すなわち、世界から必要とされていると実感できるということです。自分の小説を出版してもらえることは、自分の小説には売るに足る価値があると認められたということです。こうした金銭的対価に伴う承認欲求の充足は、趣味では実現が難しい。

確かに、趣味の路上演奏で、大勢の観客に拍手を浴びながらライブをするのは爽快に違いない。場合によっては、本業のミュージシャンよりも生きがいを感じているかもしれません。しかし、それでも一抹の虚しさが残る。それは、自分の演奏に全く金銭的対価が生じないため、自分の演奏がどれぐらい評価されるのか、自分が世間でどれぐらい必要とされるのかが分からないからです(だから路上演奏者は投げ銭を求めるのです)。

こう考えると、ユニクロ会長の柳井正が「人間は、仕事以外で成長する方法はないんですから」「甘やかして、世界で勝てるのか」)という理由も分かるでしょう。「仕事」が「成長」に繋がるといわれるのは、仕事には必ず市場価値が伴うので多くの他者に承認されますが、趣味は自己完結的になりがちなので他者からの承認を得づらいからです。

延々と書いてきましたが、私は、「だから趣味を仕事にせよ」とか「趣味で構わないとかいう奴は甘えだ」などとは全く思っていません。「趣味を仕事にしている奴は皆屑だ」とも思いません。おのおのに価値観があるでしょうから、趣味と仕事を一致させたい人はさせればよいし、させなくても構わない人はさせなくてよいのだと思います。

ちなみに、私はさせなくても構わない派です。

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中