「ド変態」が性欲について考える


診断メーカーって、ハンドルネームを入れるかTwitterアカウントを入れるかで診断結果が変わりますが、どちらもほぼ同じ結果が出てしまいました。私は「ド変態」であるらしい。

これだけで終わってもよいのですが、せっかくなので、性欲について真面目に考えてみました。

性欲は動物的か人間的か

性欲に対する考え方は様々ですが、「性欲は動物的である」と捉えることが多いのではないでしょうか。性欲を、睡眠欲・食欲と同じ三大欲求として捉える立場です(私はこれに反対なのですが、詳しくは後述)。

性欲を動物的なものとして捉えた上で、そこから二つの立場に分かれます。

性欲は悪である
人間は動物とは異なる存在であるから、動物のように本能に従って性欲を満たすことは人間的とはいえない。
性欲は自然である
人間も動物の一部であるから、動物的本能である性欲を持つことは自然であり、性欲を満たすことも自然である。

前者は、多くの伝統宗教がとる立場です。宗教は禁欲を奨励することが多いのですが、それは、性欲のままに行動することは動物的であり、それを抑制することが修行に繋がるからでしょう(なお、教義として禁欲が定められていても、実際に教徒が禁欲していたのかは別の話です)。宗教以外の哲学に目を向けても、性欲は理性的存在としての人間を貶めるものであるから、それを抑制するのが望ましいという考えが多い。

一方、後者は性欲を奨励する立場です。この立場をとる宗教は、性欲充足によるエクスタシー(恍惚)に着目し、それが高い精神性をもたらすと考えることが多いのです。伝統宗教では密教などが代表的で、神秘主義教団や新興宗教がこの立場をとることもあります。

なお、日本にはかつて「自然主義文学」というものがありましたが、これは、二つの立場に跨ります。性欲は人間の本能であるという肯定的立場をとる一方、それが恐るべき罪悪をもたらしうることを認め、それを告白するという立場もとっているからです。

ちなみに、例外的ですが、「性欲は人間的である」という立場をとる人がいます。精神分析学者の岸田秀は、人間とは本能が壊れた動物であるから、人間の性欲とは本能とは異なる人工的な欲望であると述べています(『性的唯幻論序説』など)。

科学的見地からすると、現代では性欲は「本能」(あまり科学的な用語ではありませんが)ではない、というのが定説になっているようです。それは、睡眠欲や食欲は満たさなければ死んでしまうが、性欲は満たさなくても死ぬことはないことを考えるだけでも分かる。

もっといえば、高等な哺乳類(サルやイルカなど)になると、繁殖目的以外で交尾を行ったり、発情期以外に交尾を行うこともあります。こうなると、もはや人間のセックスと瓜二つで、性欲に「動物的」「人間的」という区別を認める必要があるのかとも思います。

しかし、私はやはり、人間の性欲には人間特有の要素があると考えます。それは、性欲に伴う罪悪感や恐怖・破滅などですが、これについては別の機会に書きましょう。

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