「嫌なら見るな」という人には「嫌なら公開するな」というべき

2013年ニコニコ静画リニューアル問題に見る「嫌なら見るな」「嫌なら使うな」

私はニコニコ静画を全く利用しないのですが、2013年ニコニコ静画リニューアル問題というのがあったことを今日偶然にして知りました。ニコニコ静画のUIが、11月に突如リニューアルされたそうですが、その告知が一切なかった上、「改悪」としかいいようがないリニューアルであったため、批判を呼んでいるのだそうです。

本当に「改悪」なのかどうか、ニコニコ静画ユーザーでない私には判断できませんし、特に関心はありません。それよりも私の興味を引いたのが、まさらっきという方の意見です。

この方は「殺す」とか「Webサービスは運営のもの」とか色々おもしろいことを発言されていますが、それよりも以下の意見が私の癪に触りました。

「嫌なら見るな」「嫌なら使うな」という意見は、よく見られますね。お笑い芸人の岡村隆史も同じことをいっていましたし、こういうことをいう人は多いでしょう。

はっきり書きますと、私はこの手の意見が死ぬほど嫌いなのです。それは、以下の二つの理由からです。

  1. 「見るな」「使うな」という姿勢は、自分(あるいは自分の創作物)に対する批判を切り捨てる態度であり、創作者として極めて卑劣かつ愚鈍であること
  2. 「見るな」「使うな」と軽々に口にするが、実際に利用するユーザーがいなくなれば、困るのは創作者の側であり、創作物の存在理由が失われるということに気がついておらず、創作者としての自己認識に欠けること

「見るな」「使うな」は批判を無視している

まず1番について。

批判については、納得できるものも理不尽なものもあるでしょうから、すべてを受け入れる必要はありません。私は「お客様は神様です」とは思っていないので、ユーザーの意見におかしな点があれば、それは反論すべきでしょう。

重要なのは、「見るな」「使うな」という態度は、反論でも何でもなく、批判者の意見を無視しているということです。もちろん、すべての批判を相手にすることはできませんが、創作者たるもの、自分に向けられた反応(それが称賛であれ批判であれ)に対しては誠実に対応すべきだと思いますし、それが嫌なら、それこそ「嫌なら公開するな」と思います。創作物の一つや二つ公開されなくても、世界は困らないのですから。

「見るな」「使うな」は創作物の自己否定

次に2番について。

他者に向けて創作物を公開するということは、誰かに閲覧・利用してもらうことを前提にしています。「俺は自分だけのためにブログを書いている」という人もいますが、これはデタラメです。

「チラシの裏にでも書け」という言葉があるように、本当に自分だけのために書いているなら、裏紙か、パソコンのテキストエディタにでも書けばよいのです。自分のために絵を描くなら、自分で絵を描いて、自分一人で満足していればよい。ブログにせよWebサービスにせよ、何らかの媒体を通じて公開するという手続きをとる以上、誰かに見られることを意識しているのであり、自分だけのためなどというのは自己欺瞞に他なりません(ちなみに、私のブログは、読者は大変少ないと思われますが、書く以上は読み手のことを考慮して書いています)。

上記のように考えると、「嫌なら見るな」「嫌なら使うな」という態度は、自己否定に繋がっていることがお分かりでしょうか。誰かに見てもらうために公開しているのに、その誰かを切り捨てている。これは極めておかしな行為で、創作者として、自分が何をやっているのか理解できていないようです。

誰にも見られない、使われない創作物は死んでいる

これについて、「ユーザーだって利用させてもらっているのだから、お互い様ではないか」という意見があるかもしれません。というか、実際にありました。以下がそれです。

確かに、ユーザーが運営よりも偉いわけではないのはその通りです。しかし、この意見には、ある点が欠落しています。それは、ユーザーは創作物を見なくなっても死にはしないが、創作物は、ユーザーに見られなくなったら死んでしまうという非対称性です。

創作物とはインフラではありません。なくなったら生活が貧しくなるでしょうが、別に死にはしませんし、数年も経てば、創作物のない生活に慣れるものです。ユーザーとはそんなものです。

一方、誰にも見られることのなくなった創作物に、果たして価値があるといえるでしょうか。もちろん、作った本人にとっては価値があるでしょうが、公開物としての価値はゼロです。要するに、創作物が死んでしまったら、困るのはユーザーではなく創作者の側なのです。創作者たちは、この事実を理解しているのでしょうか。

創作者たちは、「自分たちは、いざとなれば何の価値もないようなものを創作・提供している」という現実を厳しく認めるべきだと思います。「自分たちの作品が世界を変えている」などというのは思い上がりも甚だしいことで、いざ飢餓や戦争や危機的状況になれば、何の役にも立たないのが創作物です。平和の歌も、平和のための詩も無意味です。

そんな無意味なものだからこそ、今自分たちの作品に価値が認められているのは奇跡的なことであり、その価値を認めてくれているユーザーに感謝すべきだと思います。私が「嫌なら見るな」「嫌なら使うな」を嫌うのは、そうした謙虚さが欠けているからです。

広告

「嫌なら見るな」という人には「嫌なら公開するな」というべき」への6件のフィードバック

  1. この手の記事をみていると、今現在・・日テレの「明日、ママがいない」という番組のニュース記事コメントを彷彿とさせますね
    嫌なら見るな!が殆どのコメントでお互いの意見を受け入れようとしない、虫をする発言がほとんどです

    ヤフーニュース、ニコニュースでもあげられているのでぜひごらんをば

    • > ろーず様
      コメントありがとうございます。
      「明日、ママがいない」というドラマにはまるで興味がないので見ていませんが、ずいぶんと話題にあがっていますね。
      「不謹慎」(嫌な言葉です)な作品を放送しては議論が湧き……と似たことを延々繰り返しているようです。

  2. 「嫌なら見なければいいが、公開しなければ見たい人まで見れなくなって困る」という単純なことも分からずに、このようなくだらない文章を公開されていても目障りなだけなので、サイトを消してもらえませんか?

  3. 金を積んででもカスタマーの意見がききたいから企業はアンケートサイトなんか作るんだよね。
    タダで意見が聞けてる状況なのに「イヤなら見るな」って意味わからんよね。
    例えば「この店のサービスはイマイチです、もっと笑顔で接客した方がいいと思います」という意見を貰って、「イヤならここで買い物するな」なんて言う店など、普通に考えて有り得ないと思うが。

    もちろん何事も、万人に評価されるのは不可能だけど、批判を含めて他人の意見を「無意味」とする事こそ無意味だと思うよね。

  4. takahashiさん
    あなたは「嫌なら見なければいいが、公開しなければ見たい人まで見れなくなって困る、という単純なこと」がわかってるんですよね?
    それなのに「目障りなだけなので、サイトを消してもらえませんか?」という発言に至ってますけど、これ論理破綻してませんか?
    このサイトが公開されなくなったら、見たい人まで見れなくなって困るんじゃないですか?(笑)

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中