人生の実はただ生きることの中に

今日、以下のツイートをしました。

私は、「他人と同じでいたい」とか「他人よりも抜きん出たい」という思いを抱いたことは全くないように思います。

私にとって、勉強がよくできることも、体育がまるでできないことも、ただそれだけのことでした。勉強ができるから他の人よりは優秀だと思ったこともありませんし、体育ができないから劣等だとも思いませんでした。勉強や体育は人生の要素の一つにすぎず、それで人生の価値が決まるとは全く思わなかったからです。

また、勉強で人よりも抜きん出たい、とも思ったことがありません。もちろん、勉強ができること自体は価値がありますが、それは他人の設定した価値観に沿っているだけで、自分の価値観で生きることではないと思っていたのです。

昔から一貫して思い続けてきたのは、「これをしたから人生の意味があった」とか、「これがなければ人生の意味がない」といった人生の意味づけはおかしい、ということです。「勉強ができる」とか「オリンピックで優勝した」とか「夢を実現した」とか、それらはすべて人生の一要素にすぎない、「一人の人間が生きて死んだ」ということの価値に比べれば、そんなものは塵ほどの意味もないのだ……と漠然とそう考えていました。

人生の実は…ただ生きることの中に…! (福本伸行『天』

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