全共闘世代の今と昔


『美と共同体と東大闘争』
を読みました。1969年に行われた三島由紀夫と東大全共闘の公開討論を文字に起こしたものです。

Twitterでも書きましたが、この議論は哲学的であるように見えて相当いい加減ですし、特に現代的価値を見出せる議論でもないので、特に触れません。それよりも、この討論で登場した全共闘について触れておきます。

追記: この本の「天皇とフリー・セックスと神人分離の思想」と「<天皇・三島・全共闘>という名前について」だけは読む価値があります。三島の天皇観を読むことができるからです。そして、(三島のいう「天皇」とは、実在する天皇とはかけ離れた概念であるのに)「天皇という言葉をなぜ使われるのか」という三島への痛烈な批判を読むことができます。

当時の討論の一部と、十数年後(全共闘の年齢から考えると、十七年後?)に当時全共闘であった人間へインタビューした動画です。ここで登場するのは、

  • 全共闘A(木村修)
  • 全共闘C(芥正彦)
  • 全共闘E(小阪修平)

の三人です。

これを見ると、木村修氏は地方公務員になっています。芥正彦氏は学生時代からやっている演劇を続けています(芥氏個人へのインタビューもあります)。小阪修平氏は文筆業をされており、『そうだったのか現代思想』『思想としての全共闘世代』などを執筆されています。

インタビューや著書を見てみると、彼らは全共闘世代であった頃を悔いている様子はなく、当時とほとんど考えが変わっていなかったり、あるいは誇りにしていたりします。これはこの三人に限らないことで、全共闘世代は当時のことを誇りに思っている人が多いのです。

まあ、彼らが当時の「闘争」を誇りに思うのは自由ですが、それなら、全共闘世代の多くが、「闘争」終了後には革命家を続けることなく、大企業や国に就職したことをどう考えているのか気になります。かつて自分たちが憎み、打倒を志した体制に就職することは明らかに「転向」なのですが、そのことについて、彼らは何も感じていないように見える。

それを踏まえた上で、全共闘世代に聞いてみたい。かつて革命を信じ、打倒体制のために暴力を行使してきた自分が、今まさに体制に組みこまれて生きていることについてどう思うか? そのことに罪悪感や恥ずかしさを覚えないのか? と。

2013年12月16日加筆: 『美と共同体と東大闘争』単行本版の表紙を見ると、上に挙げたA・C・Eの他に、橋爪大三郎・浅利誠・小松美彦のお三方の名前も見えます。

橋爪氏は現在は東京工業大学の名誉教授をされています。浅利氏と小松氏については詳しく存じませんが、浅利氏はフランス国立東洋言語文化大学の助教授を、小松氏は武蔵野大学の教授をされているようです。

彼らが当時の全共闘運動を今ではどう考えているのか存じませんが、「大学解体」と叫んでいた自分が当の大学に勤務していることをどう考えているのか、興味がありますね。

2013年12月23日加筆: 全共闘に関する記事を探していたら、外山恒一氏の全共闘に、そしてファシズムに学べという記事を見つけました。私と全共闘【長文】1とあわせてどうぞ。

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