中島義道はアスペルガーか

アスペルガーと結びつけて語られやすい中島義道

私はアスペルガー症候群の患者ではないと思いますが、以前からアスペルガーには関心がありました。最近、アスペルガーにも「積極・奇異型」「受動型」「孤立型」と種類があることを知り、「私は孤立型に酷似しているなあ」と思ったものです。

そのとき、「そういえば、中島義道は孤立型アスペルガーではないのか?」と疑問に思いました。検索エンジンで調べてみると、中島氏をアスペルガーや自閉症と結びつけて考える人は私以外にもいるようです。

孤独好きであること、騒音に敏感であること、幼年期から死を恐れていたことなどから、彼をアスペルガーや自閉症と考える人が多いようです。

ちなみに、当の中島氏自身は、自著の中で「私はアスペルガーである」といったことは一度も書いていません。(私の知る限り)「医者からアスペルガーと認定されたが、私はそうは思わない」といった記述も一切見られないので、中島氏がアスペルガーなのかどうかは、赤の他人の推測でしかないところがある。

中島義道はアスペルガーに近いが、アスペルガーではない?

以下、私見を述べます。典拠はいずれも中島氏の著書『孤独について』(文春文庫)です。

まず、中島氏が何らかの病気を抱えていたのは事実のようです。『孤独について』を読むと、彼が分裂病に似た幻覚や幻聴を経験していることが分かります。

ただ、これについて、中島氏はこう書いています。

……私の悩みはこうした「深刻で崇高な悩み」ではなかった。だから、誰も相手にしてくれなかったのだ。私の悩みは矮小で、些細で、暗く、陰気なものである。だから、誰も真剣に取りあげてくれなかったのだ。(中略)私が抱えていた陰湿で矮小な悩みこそ、リアルな悩みなのだと思う。(中島義道『孤独について』)

自殺を考えるレベルの破滅的な悩みなら、周りの人が「相手にしてくれ」たはずですが、中島氏の悩みはそこまでのものではなかった。だから、「誰も真剣に取りあげてくれなかった」。つまり、中島氏は分裂病に近い症状ではあっても、軽度のものであり、だからこそ辛かったのでしょう。

ここでアスペルガーや自閉症の話に戻りますが、恐らく、中島氏はアスペルガーに近い傾向を持ちながらも、アスペルガーではないと思われます。

まず自閉症ですが、『孤独について』を読む限り、彼は幼年期に知的障害や学習障害を抱えてはいません。勉強は大好きであり、家庭の暗黙の了解に従って、東京大学文科一類に現役合格するほどの頭脳ですから、自閉症のような障害を抱えていたとは考えられません。

次に、アスペルガーです。(私自身もそうなのですが)彼は確かにアスペルガー的気質を持っていますが、一方で、それとは真逆の傾向も見受けられます。いくつか挙げてみましょう。

1. 他者の心に敏感である
アスペルガーの患者は「人の気持ちが理解できない」「空気が読めない」といわれますが、中島氏はむしろ逆です。本人が『孤独について』で書かれているように、世間体や名誉を重んずる家庭に生まれ育ったため、人の気持ちの裏を読んだり、空気を読むことに異常に敏感になったそうです。
2. 他者との会話が成立している
アスペルガー患者(特に積極・奇異型)の特徴に「会話が噛みあわない」「会話のキャッチボールができない」というのがありますが、(前述のように)中島氏は人の気持ちに大変敏感ですから、人並の会話はできるのです。中島氏が抱えていたのは「死への恐怖から、怖くなったり震えが止まらなくなる」というものですが、これは、アスペルガーの症状とは異なるものでしょう。
3. 自己を他者を理解し、適切に批判しようとする
現在の中島氏は自己と他者を徹底的に理解・批判する姿勢を貫いています。また、自己を鍛えるため、積極的に他者を批判したり他者の批判を浴びに行っています。これは、自分の考えに固執したり、他人に興味がわかないアスペルガーとは真逆の傾向といえましょう。

理由は以上なのですが、もう一つ、私の推測を述べておきましょう。

中島氏は確かにアスペルガー的気質を持っていますが、それを自分で認めることを拒否しているように見えます。「私はアスペルガーだから」といって、自分の性格を正当化すれば、それはある意味で楽な話です。しかし、彼はあえて荊の道を走っている。「私はアスペルガーだから」という免罪符に甘んじず、自己批判という苦難の道を行くのです。

追記: 中島の姿勢は、キルケゴールのいう「絶望して自己自身であろうと欲する欲望」に極めて近いように思われます(詳しくは12月8日の記事参照)。キルケゴールはその段階からさらに上昇し、神に帰依する「自己放棄」を唱えているのですが、中島はあえて神に帰依せず、あくまで「自己自身であろうと欲する」段階にとどまっています。『非社交的社交性』では中島がキルケゴールを若い頃から愛読していると書かれており、彼から影響を強く受けていることは間違いないでしょう。

余談ですが、中島氏は宗教に対しても同じスタンスです。

私はクリスチャンではないが、時折自分はまるでクリスチャンのようではないか、と思うことがある。(『孤独について』)

とあるように、中島氏は宗教者の苦難に共感することがあるようです。『新約聖書』の「詩編」を読んで涙がとまらなくなったという記述もあります。

にも関わらず、彼が宗教に入らなかったのはなぜか? 恐らくですが、入信することによって救われることよりも、救われないとしても真実を追求することを望むからです。中島氏のような人は信仰を持てば幸福になれるのでしょうが、彼はそれを望まないのですね。

中島義道という人は、生きるのが結構器用でもあるのですが、こうした不器用(物好き?)な一面も持っています。10年近く前から中島氏の本を読んでいますが、私にとっては未だに興味深い存在です。

中島義道の「哲学塾」生はアスペルガーか

〔2013年10月30日の追記〕中島氏の『非社交的社交性』を読むと、中島氏が運営されている「哲学塾カント」の塾生の話が出てきます。この本に出てくるのは、その中でも「変わり者」の塾生たちです(塾生全員が「変わり者」というわけではないようですが)。

塾生には20~50代の様々な層がいるのですが、この本で紹介されている「変わり者」の塾生たちは、明らかにアスペルガー症候群の患者です。彼らは他人の発言を文字通りに受け取ってしまったり(言葉の裏や行間が読めない)、人に注意されても同じ過ちを繰り返したり、一つのことに気をつけても他のことになると過ちを犯したりしてしまうのです。

中島氏が、言葉の裏や空気を読む術を身につけた上であえてそれを避けているのに対し、塾生たちはそもそもそういった術を身につけていないし、身につけ方が分からないようです。これはアスペルガー患者と見て間違いないでしょう。

また、こういった塾生の扱いに四苦八苦しているあたり、やはり中島氏は真性のアスペルガーではなく、あくまで「アスペルガー的傾向」の持ち主なのだという思いを強くしました。

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中島義道はアスペルガーか」への1件のフィードバック

  1. 1. 他者の心に敏感である

    2. 他者との会話が成立している

    3. 自己を他者を理解し、適切に批判しようとする

    この3点を満たすAS者は当たり前にいます。

    >東京大学文科一類に現役合格するほどの頭脳ですから、自閉症のような障害を抱えていたとは考えられません。

    東大生にはアスペルガーの当事者が多くいることで相談されたことがあります。

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