痛みを終える

2013年10月21日の記事で、足の親指が腫れたという話を書きました。

あれから薬を飲んでいたのですが、一向に治る気配がなく、腫れも悪化してきたので、病院で腫れを潰してもらいました。

腫れを潰しているときは痛かったのですが、今では歩くのにも痛みを感じず、とても快適です。

痛みの思想

親指の腫れによる痛みを味わって以来、痛みについて考えるようになりました。

痛みというのは身体の警告信号であり、必要不可欠なものですが(痛覚を持たない人間は生きるのが大変です)、だからといって我々は望んで痛みを欲することはないでしょう。

SMでも、あくまで心地よい程度の痛みを提供するだけで、本当の激痛を与えられたら、耐えられないでしょう。

痛みは肉体的にだけでなく、精神的にも耐えがたいものです。その例が、「痛々しい傷」「痛い発言」「痛いニュース」といった言葉の用法です。

しかし、これらは考えてみると不思議な用法です。我々は傷を負ったり発言をした本人ではないのですから、それを見て「痛々しい」と思うのは変なのです。

ここには、痛みが単なる感情ではなく、我々の生理や神経に訴えてくる身体的な痛覚であり、見るだけで自分の身体まで痛みを感じるような耐えがたいものであるという認識があるように思います。

他にも色々と考えるところがありますが、続きは別の機会に書きます。

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