私が「100の質問」に答えない理由

Twitterでは「100の質問」なるものが流行っているようです。

100の質問というと「100の質問ひろば」などが有名ですが、今話題になっているのは「100の質問」という奴です。

昔も「ポケモンファンへの100の質問」がありましたし、この手の質問は今でも溢れていますが、私はこの手のものには答えないようにしています。

というのも、広く浅く質問を網羅しているので、深みのあるインタビューになりにくいからです。

例えば、「自分はどんな性格だと思いますか?」という質問があるとします。これに対し、「○○だと思う」と回答されたとします。

ここで、「なぜ自分は○○だと思うのか?」と疑問に思うのではないでしょうか。しかし、多くの「100の質問」は、そんな疑問に囚われず、さっさと「周りからどんな性格だといわれますか?」と次の質問に行ってしまうのです。

「100の質問」は、とにかく色々な質問を広く浅くぶつけるものですから、いちいち疑問点を掘り下げたりしないのですね。それが私にとっては不満なのです。

また、「100の質問」は、各人の事情や背景を考慮して作成されてはいないので、全く興味のない質問がぶつけられることがあるのも問題だと思います。

例えば、自動車に全く興味のない人に「好きな自動車は?」と聞いて、おもしろい回答が得られるでしょうか。ポケモンを知らない人に「好きなポケモンは?」と聞いたらどうでしょうか。

本来、インタビューというのは、インタビュイーの性格や予備知識を踏まえた上で作られるものです。物理学者に対して「重力とは何か知っていますか?」なんて質問をする人はいないでしょう。ポケモンファンに「ポケモンは好きですか?」という質問もしないでしょう。

こうした理由から、私は「100の質問」には答えないようにしています。

ゼロベースで質問するのも難しい

では、「100の質問」のような予め用意された質問でなく、一人一人にあわせた質問ならよいのか? 実は、これも難しいのです。

Ask.fmザ・インタビューズに登録されている方もいらっしゃるでしょうが、「気になるあの人に質問を!」と思っても、意外と質問しにくいはず。

それもそのはず。情報が何もない状態から「さあ、何でも質問してください」といわれても、何から質問してよいのか分からないという状態になるからです。

そこで、私が考える案です。

自分のサイトでもTwitterでもAsk.fmでも、場所はどこでも構いません。自分に質問を投げて自分で回答するという自問自答をやった上で、それを見て、ユーザーは質問を投げるという形式にしてはどうでしょうか。

これなら、「100の質問」のように定型文の質問にはなりませんし、Ask.fmのようなゼロベース状態からも脱却できます。ユーザーは、「この人はこの種類の自問自答が多いから、さらに掘り下げてみよう」でも構いませんし、「この手の自問自答が全くないから、これを質問してみよう」でもよいでしょう。

あと、自問自答という形式は、自分のことを知る点でも有意義なことだと思いますが、誰か実践しませんか?

ちなみに、私もAsk.fmのアカウントを持っているので、そのうち実践するかもしれません。

質問とは「話題を振られる」こと

以下は2014年2月3日の追記です。

小野ほりでい氏の「インタビューサイトはどうして流行る?」という記事がなかなかおもしろいので、これについて触れておきます。

本来は、質問というのはする側にメリットがある行為よ。

でも、聞かれたい、興味を持たれたい、交流したい…そんな欲求を人々がインターネットに向けるようになってからは、反対側の需要が高まった。

つまり、質問するためのサービスでなく、質問される側になるためのサービスが必要になった。

没個性、興味を持たれる機会が少ない、言いたいことも別にない…。そんな人たちに「聞かれたのだから仕方ない」と自分語りをする言い訳を与えてくれるのが「質問」という体裁だったの。

おもしろいのは、人と交流をしたがっているのに、「言いたいことも別にない」というところです。「別にない」なら無理に交流しなくてもよいのですが、何となく、人と関わりたいという欲求だけが独り歩きしている。

こうした欲求の巣窟ともいえる場所が、ニコニコ生放送です。ニコ生を見ると、喋りたい話題があるわけでもないのに、なぜか生放送を垂れ流している人間が大量にいます。コメントがつかないと一切喋らないのです。中には「コメントがないと、主はしゃべれません」と明言している人までいます。

なぜコメントがつかないと喋らないのか。それは、自分で喋る話題を考えるのは、自分から話題を振るということであり、とてもめんどうだからです。逆に、コメントがついたら喋るというのは、相手から話題を振ってもらっているわけですから、自分で話題を振る必要がなく、とても楽です。もちろん、話題を振ってもらったところで、つまらない話がおもしろくなりはしないのですが……。

インタビューサイトが流行るのも、「自分のことを話したい」「しかし、自分から話題を振るのはめんどうくさい」というのが関係しているでしょう。

実際、自分のことを話すのは結構大変です。出生・家族・人生・趣味・仕事etc.話そうと思えば何でも話せますが、全部話していたらきりがない。おもしろそうな、需要がありそうなことを掻い摘んで話せばよいのですが、そんなことを考えるのもめんどうくさい。だから、質問が来るまで待つことになります。質問がよほど膨大でない限り、質問で振られた話題ごとに答えるのは難しくありませんし、自分で話題を振るよりも楽だからです。

ただ、自分から話題を振らない人間に対して、おもしろい質問が振られることはまずありません。それは当然の話で、自分から喋らない人間に対しては何を質問してよいか分かりませんから、適当に当たり障りのない質問をするしかない。それに対しておもしろい回答ができればよいのですが、それができないと、つまらない質問につまらない回答で、せっかく始まった会話も不毛に終わってしまいます。

小野ほりでい氏が「質問というのはする側にメリットがある行為」と書かれているように、インタビューサイトというのは、自分である程度自己発信している(それも有益な情報を)人間が利用しないと、上手く機能しないものだと思います。有益さを一切気にしないで、馴れあいのツールとして使うのも悪くないのですが、それならTwitterのほうが楽ですから、わざわざインタビューサイトを使う必要がない。

結局、「何もしていない自分」に興味を持ってもらおうなんて無理な話で、まずは「興味を持ってもらえるだけの自分」になることが大事です。

なお、私の好きな週刊少年「」という番組があります。俳優の船越英一郎が有名漫画家にインタビューをしている番組ですが、船越はインタビュイーの漫画をきちんと読んでいる上に、漫画に対する造詣がとても深いので、質問の内容が素晴らしい。インタビューサイトに満ち溢れた形式的・画一的な質問とはレベルが違います。船越は素晴らしいインタビュアーであり、インタビューとはかくあるべきものだと思います。

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