存在の訳せない重さ

今日、こんなことをつぶやきました。

なぜギリシア語の語源を調べていたかというと、最近キリスト教神学の三位一体論に関心を持ち始め、用語について調べていたからでした。

今回調べていたのは、ギリシア語「ウーシア(οὐσία)」「ヒュポスタシス(υπόστασις)」と、そのラテン語訳「エッセンティア(essentia)」「スブスタンティア(substantia)」です。

せっかくですから、自分で調べた成果をまとめておきます。

ラテン語への翻訳事情

まず、原語であるギリシア語の「ウーシア」「ヒュポスタシス」について。

本稿は哲学議論をする記事ではないので、この用語に関する詳しい説明は省きますが、この二語は「存在」「本質」という意味を持つ言葉です。

重要なのは、この二語が同じ意味で使われていたという事実です注1

この二語をラテン語に訳すとき、エッセンティアとスブスタンティアという訳語が当てられました。

どちらがどちらの訳語か混乱しそうですが、語源を考えれば分かります。

まずウーシアですが、これは「存在する」という意味の動詞エイナイ(ειναι)の女性分詞形ウサから来た言葉です(コトバンク)。ギリシア語の知識がないので分かりませんが、恐らくウーシアはウサの名詞形ではないでしょうか。

一方、ヒュポスタシスは、「下」を意味するヒュポ(υπό)と、「静止」を意味するスタシス(στασις)からなる言葉です。英語でも、hypoといえば「下」、stasisは「静止」「停止」という意味ですね。なお、スタシスは、「立つ」を意味するἵστημι(発音がよく分かりませんが「スティミュイ」?)と同じ語源を持ちます。

上記を踏まえた上で、ラテン語のエッセンティア、スブスタンティアを見てみます。

エッセンティアは、「存在する」という意味の動詞エッセ(esse)が語源ですが、エッセは、元々ギリシア語のエイナイを語源とする言葉です(スピリチュアルペイン(3))。

スブスタンティアは、「下」を意味するsubと、「立つ」を意味するスタンス(stāns)からなる言葉です。

ここまで考えれば、もうお分かりでしょう。ウーシアがエッセンティアに、ヒュポスタシスがスブスタンティアに対応しているのです。

なぜ誤りが多いのか

さて、以上のことは、ギリシア語を勉強したわけでもない私ですら調べて理解できたことです。にも関わらず、この対応についておかしなことを書いている記事が散見されます。

例えば、ウーシア – Wikipediaにはこう書かれています。

ラテン語に翻訳される際に、この語には「substantia」(スブスタンティア)、「essentia」(エッセンティア)という異なる二語が当てられたため、このような語彙の使い分けが生じた。
ウーシア – Wikipedia(2013年9月27日 (金) 04:42の履歴)

ヒュポスタシスに関する説明はなく、ウーシアから二つのラテン語が派生したという説明になっています。

まあ、Wikipediaは不特定多数が編集していますから、こういう誤りもあるかもしれません。では、専門家による著作はどうでしょうか?

まず、前述したコトバンクで紹介されている『世界大百科事典』の説明をご覧ください。

これ(ウーシア……引用者注)がsubstantia(下に立つもの=実体)というラテン語に訳されたのは,事物の第一の存在(ウシア)が〈ヒュポケイメノンhypokeimenōn(下に横たわるもの=基体)〉としての存在にあると考えられたからである(《形而上学》同上)。
(コトバンク)

次に、キリスト教思想史〈1〉という本があるのですが、この本の336ページの16~17行目をご覧ください(Gooble ブックス)。

哲学的著作ではもちろん、ニカイア公会議でも、この二語(ウーシアとヒュポスタシス……引用者注)は同義語として使われ、ラテン語への翻訳では、両語ともに「スブスタンティア」と訳されていた。
(『キリスト教思想史〈1〉』p.336 l.16-17)

コトバンクも『キリスト教思想史〈1〉』も、ウーシアがスブスタンティアと訳されたと説明しています。

なぜ、こういった誤った説明が流布しているのかは私には分かりません注2

私見ですが、ヒュポスタシスが三位一体論において「位格」という意味を持つようになったことに原因がありそうです。

これのせいで、ヒュポスタシスが本来ウーシアの同義語であることが忘れられてしまい、スブスタンティアの原語が何なのか分からなくなり、「エッセンティアもスブスタンティアも、ウーシアから派生したのではないか?」という発想になった……というのは乱暴な想像です。

あと、ウーシアとヒュポスタシスの使用頻度なども関係がありそうです。古代ギリシア人の単語使用頻度がどうであったかは知りませんが、アリストテレスの著書を見る限り、ウーシアは何度も登場するのに、ヒュポスタシスはほとんど登場しません。

同じことがラテン語でも起きて、スブスタンティアはよく使われるのにエッセンティアはほとんど使われないため、スブスタンティアがウーシアとヒュポスタシス両方の訳語として使われるようになった……ということもあるかもしれません。

このあたりの真相は、歴史学や文献学の考証を待つばかりです。

2013年12月17日追記: プロソポン(πρόσωπον)とペルソナ(persona)について書いていなかったので、加筆しておきます。

プロソポンは元々「仮面」を意味する言葉ですが、サベリウス派がこの言葉を使って自らの思想(様態論)を説明したため、異端思想の象徴のような言葉となり、以後使われなくなったようです。代わりに、ヒュポスタシスが「位格」という意味で使われるようになりました。

奇妙なのは、東方教会ではヒュポスタシスが「位格」という意味で使われるようになったのに、西方教会では「位格」を表すのにペルソナを使っていることです。ペルソナはプロソポンに対応するラテン語なのですから、プロソポンの使用を避けるならペルソナも避けるではないかと思いますが、長らくペルソナという単語が使われています。

ギリシア語とラテン語の対応表を以下に載せました。プロソポンが忌避されるようになった後、本来対応しないはずのヒュポスタシスとペルソナ、ウーシアとスブスタンティアが対応語として扱われるようになったのが混乱の原因だと思われます。

ギリシア語 ラテン語
ウーシア(οὐσία) エッセンティア(essentia)
ヒュポスタシス(υπόστασις)
→後にウーシア?
スブスタンティア(substantia)
プロソポン(πρόσωπον)
→後にヒュポスタシス
ペルソナ(persona)

注釈

  1. 語源などは異なりますから、100%同じ意味とはいいがたいのですが、厳密な使い分けはギリシア語を母国語としない人間には不可能でしょう。古代ギリシア人も、厳密な使い分けをしていたのかどうかは分かりません。 本文に戻る
  2. 誤解を招きそうですが、この誤りがあったからといって、『世界大百科事典』と『キリスト教思想史〈1〉』が全部だめな本というわけではありません。 本文に戻る
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