赤木しげるの美学と責任-「反英雄」論その三

「反英雄」論の続きです。赤木しげるについての話でした。

  1. 勝負における美学と自己本位
  2. 他者に対する責任感の欠如
  3. 死についての自己中心主義

まずは1番の「勝負における美学と自己本位」です。以下、福本伸行『天』『アカギ』を参考に考えます。

※「反英雄」論は全七回です。全記事一覧をご覧になりたい方は、カテゴリ「英雄」「反英雄」論か、タグ「赤木しげる」をご覧ください。

自己中心主義

赤木は勝負において、一貫して自己を優先して行動します。たとえ誰かの何かが賭かっていても、それだけは譲りません。

これが端的に現れているのが、『天』の序盤にて、天貴史と麻雀勝負をしたときのことです。半荘が赤木の思惑通りに終了せず、天の策によって西入してしまったとき、赤木はこう宣言します。

「オレがもしこの半荘…天の後塵を拝することがあったら この勝負からおりる」
「オレたちが今取ったり取られたりしてるのは 実は点棒じゃねぇんだ プライドなんだよ…………」
(『天』赤木しげる)

この宣言通り、半荘で天に負けてしまった赤木は、(トータルでは勝っていたにも関わらず)勝負を退いてしまいます。

そして、東西戦の十順交代制麻雀の最後でも、赤木はこういって身を退きます。

「俺は…たとえ勝つにしろ 負けるにしろ 赤木しげるとして勝ち 負けたいのだ…」
「バカな意地だってことは百も承知 東軍の迷惑も承知 しかしそれでも…俺にはこうすることしかできない 残念ながらな……」

福本伸行『天』第88話「訣別」

福本伸行『天』第88話「訣別」

プライドや美学を抜きにして考えれば、天戦において、赤木は生き残るべきでした。赤木以外で天を倒せる人はいないわけですし、現に赤木が退いたせいで、赤木に代打ちを頼んだ社長側は負けています。

東西戦においても、東軍にとっては、赤木が生き残るのがベストです。原田も赤木の生き残りを認めていたのですから、ここで退くメリットは何もありません。

しかし、赤木はそれをやらないのですね。「バカな意地だってことは百も承知」「迷惑も承知」で、赤木は自分の美学を優先して動いています。

もちろん、これは味方や仲間からすれば、我儘以外の何物でもないでしょう。現に、ひろゆきは「チームとして考えて 動いてくれなきゃ…」と説得していますし、赤木が退いた後も、赤木の敗退に納得できずにいます注1

しかし、赤木にとって、仲間や味方を顧みず守らなくてはならないものが、己の美学であったのです注2

「死ぬことは恐くない いつでも死ねる 俺が恐れるのは 俺が俺でなくなること」
「それだけはご免だ そこだけは譲れない……」

福本伸行『天』第88話「訣別」

福本伸行『天』第88話「訣別」

こうした視点で『アカギ』を読んでみると、赤木のこうした自己中心主義は青年期から確立されていることが分かります。市川戦は、既に南郷の借金が返済されたにも関わらず、赤木が勝手に行った延長戦ですし、鷲巣巌戦の5・6回戦も、十分な資金を奪えたにも関わらず、赤木が延長戦を望んで実現したものです。

市川戦は南郷と安岡の借金がかかった勝負ですし、鷲巣戦も仰木の腕がかかっています。本来なら、彼らのために勝負を退くのが筋でしょうが、ギャンブルの真髄を極めたい青年時代の赤木は、彼らのことなど顧みず、己の美学に従って勝負を続けます。

常に己を優先し、仮初といえど、全体のために己を犠牲にすることはない。この徹底した自己中心主義が、赤木を「反英雄」たらしめる所以でしょう。

2014年1月25日追記: 赤木はチームのためよりも自分のために戦う人ですが、それをよく表した言葉があります。

『天』の東西戦の「トップ取り」のときのことですが、原田克美と僧我三威が、西軍メンバーを決勝に送りこむためにわざと振りこんだとき、赤木は「小細工で……数だけ決勝にあげてどうする?」「最後に勝つのは一人だぜ」といっています。

しかし、東西戦は東軍v.s.西軍のチーム戦であって、最後に勝つのは「一人」ではないわけです。結果的には二人麻雀で天が勝ちましたが、あれはクリア麻雀で決着がつかなかったための緊急試合であり、本来ならクリア麻雀が終わったとき、東軍か西軍どちらかの勝ちで東西戦は終わったはずです。

つまり、チーム戦である東西戦にあって、赤木は「一人」という個人戦的な考えを持ちこんでいる。自分は東軍に所属してはいるが、東軍を勝利に導くために戦うのではなく、あくまで自分が「最後に勝つ」「一人」になるために戦うのだ、という赤木の自己中心主義が窺える台詞です。

結果主義

ここまで、赤木が自己中心的であることを述べてきました。

ただし、赤木の美学は単なるエゴイズムではなく、自分にも他人にも極めて厳しい考え方です。そこには、美学を貫いた結果を自分で引き受けるという責任が生じるからです。そして、結果を引き受けることを他人にも要求する考え方です。

「その行為 すでに起きてしまった結果を 否定しちゃいけない」
「責任をとる道は身投げのような行為の中にはない 責任をとる道は……もっとずーっと地味で全うな道……」

福本伸行『天』第84話「冒瀆」

福本伸行『天』第84話「冒瀆」

上記は、赤木がひろゆきの行為を諫めたことについて、赤木自身が説明した場面です。

これについて、ひろゆきは「俺は俺の麻雀を全うすればいい」「たとえどんな状況であれ 自分の麻雀を捨てちゃいけない」という意味だと解釈しますが、私の解釈も同じです。

自分の美学に従った結果については甘んじて受ける。それを帳消しにするようなことは、自分の美学を裏切ることになる。赤木の真意はそんなところでしょう。

この観点から、『アカギ』の丁半博打戦を考えてみましょう。

赤木は倉田組との丁半博打において、さいころの目を丁といい当てることに成功しました。倉田組はそれを反だと主張し、赤木に対して暴力の脅しを加えます。

そのとき、赤木はこんなことをいい、あくまで丁だと主張します。

ねじ曲げられねえんだっ………! 自分が死ぬことと………博打の出た目はよ……!
(『アカギ』)

『アカギ』において赤木がやっていたギャンブルは、ほとんどが赤木の生命や金銭を賭けて行われたものです注3。この丁半博打においては、負けたときには賭け銭を差し出すことが「責任」であり、赤木は、もし自分が負ければ、何の未練もなく自分の金銭を差し出したでしょう。

しかし、倉田組はさいころの目を捻じ曲げようとしました。赤木にとっては、それは勝負の結果を帳消しにしてしまうことであり、「責任」をとらない行為です。倉田組とのやりとりにおいて、赤木は「地獄へ堕ちやがれっ………!」と、珍しく語気を荒げているのですが、それは彼にとって倉田組の「責任」逃れの行為が絶対に許せなかったからでしょう。

赤木は最後まで死ぬ覚悟で丁を主張し続けていましたが、それは前述の「死ぬことは恐くない」「俺が恐れるのは 俺が俺でなくなること」に忠実に従ったものだといえます。

注釈

  1. なお、赤木のように敗退を選ぶかとひろゆきに問われたとき、天は「俺は残る」「文句なく居残る…! 勝つために……!」といっています。これは、勝つことよりも自分であることを優先する赤木と、あくまで勝つことを優先する天の考え方の違いです。 本文に戻る
  2. 誤解のないように付記しておくと、赤木は別に仲間や味方を裏切っているわけではありません。犠牲になろうとするひろゆきを諫めたりと、むしろ仲間を助けています。ただ、自分の美学を押し殺してまで、仲間のために戦うことはしないだけです。 本文に戻る
  3. 浦部戦では「オレは毛ほども責任を感じちゃいない」といっていましたが、これは半分冗談、半分本気だと思います。あの勝負では赤木は種銭を出していないので、赤木にとっては何の関係もない勝負ですから、川田組の借金について「責任」を感じないのは事実でしょう。しかし、本当に負けてしまえば、(浦部が受けたような)罰を川田組から与えられるのは目に見えています。それについては自分の麻雀が起こした結果ですから、甘んじて「責任」をとるつもりでいたでしょう。 本文に戻る
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