赤木しげるという生き方-「反英雄」論その二

「反英雄」論の続きです。

前回、「反英雄」に一人だけ思い当たる人物がいると書きましたが、それは、ある漫画の登場人物です。

※「反英雄」論は全七回です。全記事一覧をご覧になりたい方は、カテゴリ「英雄」「反英雄」論か、タグ「赤木しげる」をご覧ください。

2013年11月30日追記: この記事は、福本伸行先生が『近代麻雀』にて掲載されていた「赤木しげるという生き方」とは関係ありません。あくまでブログ筆者の私見です。

赤木しげる

赤木しげるについてはご存じの方も多いでしょうが、簡単に説明します。

赤木しげるは、福本伸行の漫画『天』に登場した中年の男性キャラクターです。元々は脇役でしたが、彼が主人公の天貴史よりも人気を博したため、途中からは赤木のほうが出番が多くなり、「赤木が主役、天は脇役」とまでいわれるようになりました。

後に赤木の青年期を描いたスピンオフ『アカギ』まで始まり、現在も連載中です。

『アカギ』が連載終了していないので、赤木の青年期・壮年期については不明な点も多いのですが、壮年期・晩年については『天』に詳しく描かれているので、ここから赤木の思想を読み取ることができます。

さて、赤木については様々なことがいわれています。「天才」「神域」「白髪」「悪魔」……確かにそれらも正しいのですが、私は「反英雄」という観点から、彼の特徴を挙げてみようと思います。

私が彼を「反英雄」だと考えるのは、彼が一貫して自己本位の生き方を貫いているからです。具体的にいえば、以下の通りです。

  1. 勝負における美学と自己本位(その三
  2. 他者に対する責任感の欠如(その四
  3. 死についての自己中心主義(その五その六その七

この三つすべてについて本稿で論じるには紙幅が足りませんので、何回かに分けて、この三つについて書くことにします。簡単に内容の説明をしておきましょう。

まず1番ですが、赤木は美学を持って勝負に臨んでいます。そして、その美学を貫くために、周りの迷惑を顧みず勝負を捨てることもあります。そうした彼の自己本位について考えてみます。

次に2番ですが、赤木からは過去の敵に対する哀惜や義務感が感じられません。これは、福本伸行の別作品『銀と金』の平井銀二や、『カイジ』の伊藤開司と比べて特異な点であり、赤木しげるの自己本位に繋がる点だと思われます。

最後の3番ですが、赤木が自殺する間際の「通夜編」において、赤木に一貫する自己中心主義について書くことにします。また、フィクションでなく、現実の人物の著書やブログを参照しながら、赤木の死生観について考えてみます。

少し短いですが、今回はアウトラインを示すだけで終わりにします。

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