天使と「英雄」-「英雄」論その六

天使の社会

2014年1月8日追記: 検索エンジンで検索してこの記事にいらっしゃる方が多いようなので、遅まきながら全体の目次を作成しました。

前回で「英雄」論は終わりにする予定でしたが、おもしろいトピックを見つけたので、「英雄」論の最後にこれを紹介しておきます。「天使」の話です。

この動画は、2011年8月4日~5日に財団法人エンゼル財団が主催されたダンテフォーラム2011 「天使学への招待」の動画の第四部で、講師をされているのは稲垣良典氏です。

稲垣氏は哲学を専門に研究されている方で、特に中世のスコラ哲学・神学に関する翻訳や著作を多数書かれています。私は未読ですが、『天使論序説』という本を書かれています。

このフォーラムの動画はいずれも興味深いので、ぜひとも第一部からご視聴いただきたいのですが、今回注目したいのが、第四部の18分17秒以降の「天使の社会」というトピックです。

稲垣氏は、天使の社会と人間の社会を対比して考えるとき、天使の社会には「強制力の不在」があると述べられています。

というのも、天使たちは、自己の存在は社会によって存在していることを認識しているため、自己にとってよいことは社会にとってもよいことだ、だから「個と全体の対立」は存在しないのだ、と(19:40~)。

この議論自体には私は少し疑問を覚えますが、それはおきましょう。

ここで重要なのは、稲垣氏が、こうした天使たちの特性を、あたかも人間も持っているかのように考えてしまう誤謬を指摘されている点です。それが、この動画で扱われる「天使主義的誤謬」というテーマです。

近代以降、人間が理性的であるとか完全であるとか、人間には真理を認識できるとかいった議論がなされてきたが、それらはすべて「天使」たちの話であって、人間は必ずしもそうではない、という指摘を稲垣氏はされています。

「英雄」は天使か? 人間か?

さて、この指摘を踏まえて、「英雄」に立ち返ってみましょう。

「英雄」という概念は、自己を天使と誤解してしまうことから成立するのではないでしょうか。

今まで書いてきたように、「個と全体の対立」というテーマは「英雄」にはありがちです。これが存在しないのは、「英雄」でない凡人か、渡邊美樹氏のような特別な「英雄」か、天使だけでしょう。

「英雄」は、「個と全体の対立」が自分にはないかのように錯覚して行動します。それは、自分を「天使」だと考える天使主義的誤謬だと来ているのです。

そして、そうした「天使」たちが自己に悩む姿は、「天使」が「人間」に立ち返る瞬間、といえるのではないでしょうか。

まとまりのない議論ですが、「英雄」という観点から中世の天使論を読み直すのもおもしろいのではないか、と考えました。

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