渡邊美樹は現代の「英雄」である-「英雄」論その三

2014年1月8日追記: 検索エンジンで検索してこの記事にいらっしゃる方が多いようなので、遅まきながら全体の目次を作成しました。

釣り狙いのタイトルに見えますが、これは、彼の言動を見聞きする中で、私が思ったことをそのまま書いています。

まず、タイトルから招きそうな誤解について釈明をしておきます。

渡邊美樹氏が「素晴らしい」人間であると主張しているのではない
「素晴らしい」人間であることと、「英雄」であることはほとんど関係がありません。
渡邊氏の主義主張を肯定しているのではない
私の主義主張はむしろ渡邊氏の反対なのですが、これについては別の機会に語ります。

上記を踏まえた上で、以下の文章を読んでいただければ幸いです。

「英雄」としての渡邊美樹

「英雄」論その一で、「英雄」を「人生における長期的な目的を、自分以外の何かに置いている人間」と定義しました。

以下、渡邊氏がこの定義に該当するのかどうかを見てみましょう。

まず、渡邊氏の「目的」とは何なのか。彼は、13歳のハローワーク(第一章)にてこう述べています。

……僕の場合は「仕事」は「生きることそのもの」です。

僕の場合にはもともと、人間は人間性を高めるために生まれてきたんだという考え方があるんです。

人間性を高めるために生まれてきたんだから、そのお手伝いをすることが一番尊い仕事です。すると、教育はそのものずばりなんですね。だから外食産業も、僕は外食産業だと思ってない。教育産業だと思っている。

人間性を高めていくと、幸せは自分だけのものじゃなく、みんなと一緒に幸せがあると思えるようになる。それが優しさの根本であり、みんな幸せになれる考え方ですね。
要するに幸せになるための方法なんです。自分のことしか考えず、お金で何でも買えると思い、もっと何かを欲しがる限り、絶対人間は幸せになれない。

人間は人間性を高めるために生まれてきた。それも、自分一人が高めるのではなく、周りの人を高めてあげるために。そして、仕事とは他人の人間性を高める「お手伝い」であるから、仕事は「生きることそのもの」となる……こういう理屈です。

このインタビューは2006年に行われたものですが、2013年の社員に経営哲学を語る席(ニコニコ動画)においても全く同じことをおっしゃっているので、渡邉氏にとっては一貫する経営哲学なのだと考えられます。

「自分以外の何か」のために生きるのが人間の目的であり、それは恒久的なものだ、という「英雄」の条件を、渡邉氏は高らかに宣言しているのです。

「英雄」ならざるワタミ従業員

さて、「英雄」的仕事観を持たれている渡邊氏ですが、彼の下で働いていた従業員はどうなのでしょうか。それを端的に示すエピソードがあります。

経営は格闘技、死ぬまで途中経過において、こんなことが書かれています。

……私はM&Aをし、そこにいた600人の社員に「私は自分の父親や母親に対するのと同じことをしたい」と言いました。結果的に、今までの介護の常識と全然違うことになった。
(中略)
私の方針に沿った内容に改めていった結果、600人いた社員の3分の1くらいが辞めていきました。そのとき皆が残した言葉は、「私達の幸せはどこにあるのですか」でした。
長時間労働をさせたわけではないのに、「私たちは朝から晩まで働きっぱなしではないですか」と言う。そこで私が「あの元気になったおじいちゃん、おばあちゃんの笑顔を見ることは、あなたにとって幸せではないのですか」と聞いたら黙ってしまいました。辞めていった人たちを非難しようとは思いません。良い悪いではなく、それは人それぞれの人生観なのです。
(太字は引用者による強調)

ここで何が起こっているのか。前回の「英雄」論その二で書いたことを思い出してください。

……目的の実現のために自分の私生活を過度に抑圧してしまい、「自分の人生は何なのだろうか」という虚しさを味わうこともあります。

「600人いた社員の3分の1くらい」は、ワタミのために私生活を抑圧した結果、「私達の幸せはどこにあるのですか」と不満を漏らすようになりました。これは、彼らが「英雄」ならざる普通の人間だからです。普通の人間は、目的のために自分の人生を完全に捧げきるほど強くないのです。

これに対し、渡邉氏は「あの元気になったおじいちゃん、おばあちゃんの笑顔を見ることは、あなたにとって幸せではないのですか」と反論します。

恐らく、渡邊氏には「600人いた社員の3分の1くらい」の悩みが理解できないのでしょう。「おじいちゃん、おばあちゃんの笑顔」が見られるのに、何を不満に思うことがあるのか、と。

「おじいちゃん、おばあちゃんの笑顔」のために自分の幸せを捨てることができるのは、渡邉氏が「英雄」だからであって、普通の人間である従業員にできることではないのです。

こう考えると、ワタミという企業は、「英雄」である渡邊氏が、従業員全員にも「英雄」であることを強制している企業だといえます。

思想的背景

かくも「英雄」的な人間・渡邊氏ですが、彼のこうした思想はどのようにして形成されたのでしょうか。これについては、彼の幼少時代や学生時代について書く必要があるのですが、長くなるので次回にします。

渡邊美樹は「サイコパス」ではない

以下は2014年1月18日の追記です。

渡邊美樹は「サイコパス」ではないか、という話がまことしやかに流れています。「サイコパス」とは定義の難しい言葉ですが、人を害することに対して罪悪感を覚えない人間、生来的な犯罪者、といった意味の言葉です。

こうした印象は、「ブラック企業」「従業員殺し」というワタミのイメージから来ているものでしたが、渡邊氏自身の言動によって、そういうイメージが強まったように感じます。2013年7月に渡邊氏が参議院選挙に出馬したときのことですが、ワタミが「ブラック企業」と呼ばれていることについて質問されたとき、「正直なんとも思っていない」「事故」と回答されたのです。こうした言動から、人命を軽んじる「サイコパス」と思われるようになったのは、確かに無理もないかもしれません。

ただ、私は、渡邊氏は確かに人命を軽視しているが、決して「サイコパス」ではないと考えています。

私は実際に「サイコパス」に会ったことがありませんし、そういう人間が存在するかどうかも分からないので、憶測なのですが、恐らく「サイコパス」の人たちは、「自分が悪いことをしている」という自覚は持っているのではないかと思われます。それを持った上で、悪いことをするのに罪悪感を特に抱かない人たちなのではないか。

具体的にいうと、こういうことです。

例えば、殺人を犯すことに罪悪感を全く覚えない「サイコパス」がいるとしましょう。彼は、自分にとって必要ならば、平然と殺人を犯すでしょう。しかし、殺人にあたって、白昼堂々と殺人を犯すかといえば、決してそうではありません。なぜなら、そんなことをすれば、自分の殺人が露呈するからであり、逮捕されてしまうからであり、つまり自分にとって不利益だからです。

つまり、「サイコパス」は、殺人が非倫理的な行為であり、犯罪行為でもあることは十分に理解しているのです。理解した上で、逮捕されることが不利益に繋がるので、それを回避しようとします。

一方、渡邊氏はどうでしょうか。

渡邊氏が直接手を下したわけではないとはいえ、ワタミの従業員が過労死したことがあり、裁判沙汰にまでなったことは事実です。それに対し、「正直なんとも思っていない」のですから、確かに罪悪感を覚えない「サイコパス」に見えなくもない。

しかし、渡邊氏が本当の「サイコパス」ならば、ここでこんな発言をしないと思います。「正直なんとも思っていない」と答えることに何の利益もないからです。嘘偽りであっても、「正直申し訳ないと思っている」とでも答えたほうが得です。

では、なぜそう答えないのか? それは、渡邊氏は、ワタミによる「殺人」を悪いことだと思っていないからです。彼は、ワタミは「正義」であり、従業員の過労死はワタミの責任ではなく、ただの「事故」にすぎないと捉えている。「サイコパス」が、殺人を悪だと認識した上で罪悪感を覚えないのに比べると、渡邊氏は過労死を悪だと認識してすらいないのです。

語弊のある書き方をしましたが、私は、渡邊氏が「サイコパス」よりも悪質な人間だといいたいわけではありません。ただ、渡邊氏は「サイコパス」などとはむしろ真逆の人間だといいたいのです。彼は自分の行為を「正義」だと確信しきっているのであり、「英雄」的あり方の極致ともいえる存在なのです。

広告

渡邊美樹は現代の「英雄」である-「英雄」論その三」への4件のフィードバック

  1. 古いエントリに対するコメント失礼。
    ワタミ前会長はサイコパスではないとのことですが、彼はサイコパスですよ。
    貴方はサイコパスの定義を誤解されているようです。
    サイコパスは「他者への共感能力を欠如している人間」なので、
    「自分の正当性に一点の疑いもない」「自分の価値観が万人に当てはまると信じている」というのは、十分サイコパスの特徴です。

    • > 「」様
      初めまして。コメントありがとうございます。

      サイコパスは「他者への共感能力を欠如している人間」

      私はその定義を初めて耳にしましたが、どこで定義づけられたものなのでしょうか?

      あと、その定義と「自分の正当性に一点の疑いもない」「自分の価値観が万人に当てはまると信じている」は全く繋がっていません。
      「他者への共感能力」を持つことと、「自分の正当性に一点の疑いもない」は十分両立します。

    • > 「」様
      コメントありがとうございます。
      Wikipediaの記事のようですが、この記事は辞書やニュース記事などを出典としている記述が多いようですね。
      この記事の内容に信憑性があるかどうか判断しかねるのですが、「」様はこの記事の内容を元に、「他者への共感能力を欠如している人間」という定義を正しいものと考えていらっしゃるのでしょうか?

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中