「英雄」論その一

2014年1月8日追記: 検索エンジンで検索してこの記事にいらっしゃる方が多いようなので、遅まきながら全体の目次を作成しました。

「英雄」論について書きます。

「英雄」論については8月28日の記事でも書きましたが、あのときはきちんとした議論をしなかったので、もう一度議論し直します。

「英雄」

まず、「英雄」の定義について。私は「人生における長期的な目的を、自分以外の何かに置いている人間」と定義しています。

重要なのは、「長期的な目的」という点です。これについては、先日の「意味」論で説明しました。

「短期的」にであれば、誰しも他人のために生きたり、何かをすることがあるはずです(もちろん、どれぐらいの時間が「短期」かは人によりますが)。

例えば、「自分の子供が育つのが生きがい」というのは、短期的な目標です。

就職して親元を離れるまでを「育つ」と定義すれば、多くの場合、親が死ぬまでには子供は育ち終わるからです(もちろん、子供が引きこもりで「育」たなかったり、親が事故で亡くなる場合などは別です)。

子供が育ち終わった後はこの目的は消えてしまうので、これは「長期的な目的」とはなりえません。

一方、「世界のすべての子供たちが幸せになるのが生きがい」となると、これは長期的な目的です。

子供たち全員を幸せにするのは至難ですし、子供は毎日次々に産まれてきますから、彼らへの対応も必要です。

これは明らかに(以前述べた)「自分の人生において実現しにくい、できないほどの大きな目的」であって、自分の人生を「子供」たちのために費やす覚悟でなくてはできないでしょう。

こういう、他人を長期的な目標に置く人間を「英雄」と呼びます。

目的の対象

なお、「長期的な目的」は、必ずしも「人類」や「世界」といった大きな概念である必要はありません。「恋人の永遠の幸福のために」などという目的も、十分「長期的」たりえます。

これについて、私は以前こんなツイートをしたことがあります。

さて、この次に、(以前書いた)「英雄」が「英雄」であることに悩むという問題が出てくるのですが、これについては明日書きます。

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